許し許され生きていく


人間は、日々許し、許されている。

無礼を働いたこと、無礼なことをされたこと。遅れたこと、待たされたこと。相手が傷つくことをしたこと、逆に何もしてくれなかったこと。何気なく言った不快なこと、何も言わなかったこと。ミスしたこと、そのミスで迷惑被ったこと。自分勝手な行動をしたこと、そんなことされて困るなと思ったこと。

生きていれば何かする。される。
コミュニティに所属していれば、それは倍増する。

私も様々なことをしてきたし、されてきた。そして他人はそれを許してくれてきたし、私も許してきた。時に、絶対に許さないぞと頭でっかちに考えてしまったけれど、相手が許してくれたことに気づいたとき、それに感謝し、私も許そうと思うこともあった。

許すことで、心は豊かになった。
許さないと思って避けた人から、私が相手にしたことを許されてお祝いの言葉をもらい、恥ずかしくなった。人間としての器の違いを感じた。それと同時に、その人はそんなに悪いことしてたかな、と振り返ることができた。案外そうでもないものだ。当時の自分が許せなかったことは、今の私には許せることだ。許せる今、相手からのあたたかい気持ちを受け取り、嬉しくなる。

許さないということは、それを受け取ることが無いということで、相手から許されていた事実に気づくことができないままだということだ。なんて寂しく、恥ずかしいことだろうか。
そんなこと続けていたら、人生の最後の最後、一人になってしまうんだろうな。

案外、人は許している。一見許しているかどうか分かりづらくても、心根では許している。それに気づき、感謝し、こちらも許し返しをする。そうやって、生きていく。人間関係は育っていく。

捨ててばかりではだめだ。
許さない人生は実りがない。
許してこそ、許されるのだ。

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