見出し画像

小さな親切大きなお世話。僕が「そういうことじゃねぇんだよ!」と叫んだ理由

『人に親切にすることは気持ちがいい』


人として素晴らしいことだと思います。

ですが、その親切、本当にその人のためになっていますか?という話しをしたいと思います。


「人に親切にすることはいいことだ」
「困っている人がいたら助けましょう」

俺たちはずっと、学校や親、メディアなどからこのように教えられ育ってきた。

そうすることになんの疑いもなく、人に親切にすることはいいことだと信じ、無理して親切にしようとまでは思わなくとも、自分にできる範囲で人に親切にしようと心がけている人は多いと思う。

日々、人のためになにかしよう!と色々親切な活動をしている素晴らしい人間性をもった人も多くいる。


以前、アヤワスカの儀式を受けていた時にこんなことがあった。

その儀式の時はたまたま俺の他に韓国人の方がいた。
その人は韓国人だけど日本に10年以上住んでいて、日本語もペラペラだし日本人的な感覚を強く持っている人だった。

俺たちはすぐに意気投合し、色々な話しをした。

なぜアヤワスカをやりにきたのか、これまでどんな人生を送ってきたのか、俺たちはアヤワスカをやりにきたという特殊な環境下ということもあり、普段は人に話せないようなこともお互いに話し、そしてお互い似たような境遇でずっと苦しんでいきたということもありまるで昔からの親友かのように一気に距離が縮まった。

そんな彼と数日間アマゾンの村で共に過ごし、お互いに強い信頼関係と、リスペクトを持っていた。


そんな彼と一緒に受けた何回目かの儀式でのこと。

その日の儀式を受けていたのは、俺達の他には地元の人が10人いないくらいで、俺達をあわせて全部で10人くらいの人数で行われた。

俺は開始から2時間ほどの時間が過ぎてもなんの変化もなく、ただただ気持ち悪くて嘔吐を繰り返していた。

「もう少しでなにかみえそう…もう少しであそこに届く…」

アヤワスカには段階のようなものがあり、みえる世界も違うということをすでに知っていたので、「この気持ち悪さの先にあの魂の世界がある…」とマットレスの上でうめきながらも気持ち悪さに耐えていました。

「大丈夫か?外行くか?」

嘔吐を繰り返している俺に優しく声をかけてくれる韓国人の彼。

「うん、大丈夫。もう少しでなにかみえそうなんだ。このまま集中したい」

そう彼に告げ、気持ち悪さと戦いながらも意識を集中させていた。
すると彼が俺の背中を擦ってきた。そしてまた吐き気が襲ってきてバケツに吐く俺。

「そういうことじゃねぇんだよ!今はほっといてくれ!後でちゃんと話すから!」

見当違いの行動や、俺を心配しての優しさからだがひっきりなしに声をかけてくる彼に対して思わず声を荒げてしまう。


1人にしてもらい改めて集中し、シャーマンの導きにより、この日俺は結局魂の世界まで行き本当の歓喜を味わった。

だが、彼はこの日も確信までたどり着けず、結局俺と一緒に儀式を受けた数日間の間で彼がアヤワスカの本質までたどり着くことはなかった。

今ならハッキリとその理由が分かるが、彼はエゴが強すぎたのだ。

覚醒するということはエゴを手放すということでもある。エゴが本当に離れた時に人は本当の歓喜を味わうことができる。

儀式が終わった次の日の昼間、ハンモックに揺られながら2人で話しをしていて、「あのとき言ってたことってどういう意味だったの?」と尋ねらた。

「うーん、うまく言えないんだけど、あの時の行為は親切心だっていうのはわかるんだけど、それってただのエゴだよね?俺はそうして欲しいとは全く思っていなかったし、あのときはただただ鬱陶しくて、頼むからほっといてくれ!って感じだったんだよね」


うまく説明できないが、おそらく親切心というのはエゴでしかなく、その人からしたら親切でも、他の人にとっては迷惑にもなるということ。

エゴからの行為は人を不幸にする。

あなたのためと思ってしたことが、その人を苦しめることになる。

これってかなり本質で、なんでもそうだと思う。

例えば親子関係はその典型だ。

俺はずっと父親が嫌いで、父親に苦しめられた部分が大きい人生だと思っていたけど、アヤワスカをやって知ったことは、本当はずっと母親に苦しめられていたんだということ。

一見、俺の理解者のような感じで寄り添ってくれたり、彼女なりに愛情を注いでくれたのはわかるんだけど、問題なのは俺がそれを全く望んでいないのに、彼女はそれを愛だと勘違いしていて本人に全く悪気がないってこと。


こんなに愛情を注いでいるのになんでわからないんだ!
こんなにあなたのことを思っているのに…
あなたの将来を思っているから…

こんなセリフ言ってる人がいたら要注意です。


一見人のことを思う優しくて親切な言葉のように聞こえるけど、そんなものはただのエゴであり、歪んだ愛情でしかなく、息子のことを本当に思っている人の言葉じゃない。

歪んだ愛情と言うとまた少し語弊があるかもしれないが、方向性の間違った愛情は愛情でもなんでもない。

母親というのは子供に対して往々にして過干渉になりがちだ。

特に子どもが小さい時は色々心配だろうし、幸せになってほしい!こうなってほしい!という母親の強い願いみたいなものがあるんだろう。

そしてついつい子どもの生活や友達関係にいたるまで口出しをしたくなってしまうようだ。

子どもに対してのリスペクトがない。まるで自分の持ち物だとでも勘違いしているかのよう。ズカズカと子どもの問題やプライベートにまで土足で踏み込んできては心までも踏み潰す。

もし思い当たる母親がいたら、それ絶対やめてください。そんなことをして幸せになる子どもはいません。

僕もひどく苦しみました。

何回母親に対して、

「そういうことじゃねぇんだよ!!なんでわからないんだ!!」

と怒鳴りつけたことか。


相当困らせたと思う。だって、本人は「こんなに愛情を注いでいるのになんで理解しないんだ!お前のことをこんなにも思って言っているのに!」という感じだし、自分が世界で1番の子どもの理解者でいるつもりでいる。それでいてまさか自分が良かれと思ってしていることがどれだけ息子を傷つけているかなんて自覚は当の本人には全くない。

この事例のタチの悪いところは、周りからは全く理解してもらえないということ。

だって外から見たら一見良い母親に見えるから。

「なにがそんなに不満なんだよ。お前のことを思ってくれる良い母親じゃないか。そんな母親大事にしないとバチがあたるぞ」

「〇〇は良いよなー。優しい母親でさ。家なんて怒られてばっかで最悪だよ」


違う…違う、そんなんじゃないんだ…なんで誰もわからないんだ?なんでみんな上辺しか見てくれないんだ?


当たり前のように良い母親の価値観やイメージが世間にはあって、そのイメージに近い母親は良い母親、そのイメージと離れている母親は悪い母親、という凝り固まった価値観の中でみんな生きている。

それ以外があるなんて想像することすらできない。

この世界こそが地獄だよ。誰もそのことに気づかないんだ。



子どもに何かを教えよう、自分が教育して立派に育てよう、なんて傲慢な考えにもほどがある。本当の教育とは、『生き様』『在り方』を背中で伝えること。

決して自分の思う通りに子どもをコントロールしようとしないでください。
子どもにはあなたなんてアドバイスなんてなにも必要ない。ただあなたの生き方で示してください。あなたが真っ直ぐに人生を生きていれば、子どもはそんなあなたの姿を見て真っ直ぐに育つんです。


「怪我したら大変だから…」と、子どもが包丁を使って料理をしたいと言ってるのを邪魔しないでください。間違って指を切って、そして怪我して子どもは自分で学ぶんです。それからは怪我しないようにできるんです。

あなたがその機会を奪ってしまったら、いつかもっと取り返しのつかないような大怪我するんです。


「将来苦労したらかわいそうだから…」と、自分の価値観や物差しで子どもを測らないでください。あなたが余計なことを言うから子どもは自分の可能性を閉ざしてしまうんだ。自分にできることはたかが知れてると悲観してしまうんだ。ただ優しい眼差しで見守ってるだけでいいんです。他でもないあなたが、子どもの可能性を潰してると気づきませんか?あなたが子どもを苦しめていることに気づきませんか?

どうなろうともなにがあろうともあなたの味方だよ、って態度で示してるだけでいいんです。


自分の思考にとらわれないで。
自分の価値観にとらわれないで。

あなたが、愛をもって真っ直ぐに生きていれば、子どもは真っ直ぐに愛を感じて生きていけるんです。


子どものためを思ってとか、困っている人のためにとか、そんなことはあなたのエゴでしかなく、なんの助けにもなっていないどころかその人を苦しめる原因になる。


こんな考え方があります。

『人生にはその人に必要なことが起こる。だから人生にムダなことなんてなにもなく、すべてのことは学びのために起きている』

だとしたら、その人は学びのために今そのことを経験しようとているのに、あなたがその人のためにと思ってした行動でも、その親切心からその人の学びの機会を奪っていることになります。

結果、学びを全うできなかった人はまた同じようなことを繰り返す人生になってしまう。その輪廻から抜け出せずに苦しみ続けるんです。


『小さな親切大きなお世話』

なんかの本でこの言葉をみて、俺はすごく腑に落ちた。



本当にその人のことを思っているのなら、暖かく見守っているだけでいい。
その人が疲れた時には、温かいスープでもそっと差し出してあげればいい。

その人があなたを頼ってアドバイスを求めてきたら、その時は愛をもってあなたの経験や知識を分け与えればいい。

『人のために』なんていうエゴは捨ててください。ただ自分が楽しいことだけをやっていればいい。それ以外に人を幸せにする方法なんてないんです。




サポートしていただけると記事を書く励みになります!頂いたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせて頂きます!