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「発達」は目指してできることではなく、結果としてできてしまう現象⁉

 子どもの発達過程における運動の繰り返しは、「動きたい」という子どもの根源的な欲求(衝動)と、目の前のものをとりに行きたいなど、興味あるものへの探求心によって生ずるものかもしれませんね⁉
 そう考えた場合、そもそも「発達」というものを家族の皆さんはどう捉えるといいのかをお伝えしていきます。
 

子どもは「誰を見て」動くのか⁉

 子どもは“発達”の中で、わざわざ運動の仕方は考えてはいなくて、「右足を出して…次に左足を…転ばないように…」、みたいには考えてはいないですよね。自分の目の前にいるお母さんの姿を見て「いかにしてお母さんに近づくか?」ということを感覚的に考えています。
 その際に発揮しているつかまり立ち、歩くは、「お母さんに近づくために」を実現する手段です。その「いかにしてお母さんに近づくか?」という気持ちと、体の諸器官の成熟が同期したときに、例えば、つかまり立ち、歩くという運動能力は「できてしまう」のです。

喜びを感じるのは親⁉その喜んでいる姿を見て子どもは繰り返し動く

 結論をお伝えすると初めて「歩けた‼‼」と喜びを感じるのは親で、子どもは相変わらず親の近くに行けたことを喜んでいます。ただ、初めて子どもが歩く姿に喜ぶ親をみて、親のところに行けた子どもの喜びは大きくなり、その相互関係が更なる「繰り返し」に繋がっているかもしれません。
 このように、発達で生じる運動能力の変化は、子どもにすれば「できてしまった」ものなので、「努力して得た‼」という実感はないのです。その運動能力は、「楽しさ」の中で達成してしまっているため、親の反応にも助けられて運動能力を直ちに繰り返している。そしてそれらが「発達を安定化させる力」となるのです。


発達課題をクリアするためには「楽しさ⁉」が必要

 今までお伝えしてきた内容はあくまで「発達」に関することです。発育・発達は結果的に起きるので、出来たことを親が喜び、その姿を子どもがみて繰り返し、やがて運動能力が獲得されていく。その中に「楽しさ」「嬉しさ」などの快の感情が繰り返しの運動に繋がっていきます。
 次回、発達課題よりも難易度の高い「学習課題」についてお伝えできればと思います。

最後まで読んで頂きありがとうございます。では、もう少し具体的に発育・発達のことを教えてほしいという思われたら、こちらのサービスで横山が伴走致しますので、良かったら覗いてみてください。


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