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頑張った先が見えてないなら頑張る前にやるべきことがあるだろうが!!

僕が「人生を豊かに幸せに生きていく」と決めた時に、捨てた言葉がある。

「頑張る」

「今日も頑張っていきましょう!」
「金曜まで頑張るぞ」
「あなたの分まで私が頑張る」

世の中の人は何かと「頑張る」と言うし、「頑張って」と言う。

別になんの意味も無い。

自分や人への励ましの言葉なだけであまり意識しないで使っている。

でもこの意識しないで使うってところが怖いところ。

以前noteで潜在意識の話をした。

潜在意識が日々の行動や言動を作っている。

なんで歯を磨くのか。「よし!歯磨くぞ!」と毎回気合いを入れて磨きに行っていないはず。

なんとなく食後このくらいしたら歯を磨く。お風呂入ってる時に歯を磨く。

そんな習慣が付いているはず。

習慣は無意識で行われる。

無意識とは潜在意識であり、潜在意識が未来を作る。

ということは、意識しないで使っている「頑張る」という言葉には「頑張る」未来が待っているということ。

「頑張る」未来ってどんなのか。

仕事辛いけど頑張って行こう!
学校であの人に会いたくないけど頑張って行くか!
かっこよくなるためとはいえ筋トレキツいな。けど頑張ろう。

「頑張る」を単純化して捉えると、ネガティブなことを乗り越えようという意味になる。

確かに大切。

だけどネガティブを乗り越えるのはポジティブに向かう前提があって成り立つもの。

このポジティブを認識できているか?という話。

なんのために今日を頑張るのか。今日を頑張ると未来にどんないいことが起きるのか。

それを認識せずにただひたすら頑張るのは終わりの無い労働と同じ。

働いても働いても終わらない。体が終わるまで終わらない。

頑張った先に「豊かに幸せに生きている」未来が見えなかった。

僕がこれを成すには「頑張る」ことを捨てなければいけない。

そう思ったから捨てた。

そして代わりに入れた言葉が「楽しむ」

欲しかったゲームが届いた瞬間、夜通しでプレイするような、大好きな人とずっと一緒にいたいと思うような。

この「楽しい」がある環境が僕の生きていく場所なのだ。

待ちに待ったゲームを徹夜するのに「頑張る」ことは必要無い。

大好きな人と一緒にいる環境には「楽しい」しかない。

だから僕は「楽しい」という言葉を使うようにした。

とは言っても、今日でnoteの毎日投稿は15日目。

これは人から見れば「頑張ってる」ように見える。

たしかに「頑張ってる」瞬間はある。

例えばネタ探しをしている時。

もう毎日投稿は何回もやっているのでネタが降ってくるというか、概念を繋げてネタにする作業は慣れてきた。

とは言っても毎日繋がるわけじゃない。

「今日何書こう」と考える日はある。

この時間は「頑張っている」に入るのかもしれない。

だけどその時間は極一部。

ネタを決めて書き始めれば言葉はスッと出てくる。

この言葉をキーボードで打ち込んで文にしていく作業がパズルをやっているようで好きだ。

そしてタイトルやサムネ。

内容をひとことで表す言葉選び、内容を映像で示す作業。探し出してピッタリ合うものを見つけた時のハマり具合が癖になる。

そして投稿して読んでもらう。

いいねの通知が入る。コメントが来る。

自分の表現が人の心を動かして、それがいいねやコメントとして返ってくる。

表現者としてこれほど嬉しいことは無い。

文章を書いて、サムネとタイトル付けて、投稿して反応をもらう。

この楽しさが1日1回味わえるのなら、ネタ探しの10分くらいは頑張るさ。

しかも文章はnoteというプラットフォームがある限り、ずっとどこかで表示される。

昔書いた文章が今反応されることだってあるのだ。

noteを始めてもうすぐ2年。

17,520時間楽しめるのなら約121時間くらい頑張るよね。

楽しいこと、好きなことの中で生きていくことが僕の生き方。

そのために少しの頑張りはするけど、それは楽しむため。

頑張った先の未来を見るってのはこうゆうこと。

そしたら自然と「頑張る」のでなく「楽しむ」って言葉を使い出すのだ。

ということで終わり!読んでくれてありがとう。またね。


過去noteもよろしく!


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