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足るを知る


 こんばんは。丁寧な暮らしをしよう、と決めるたびに朝型になるぞと意気込むわけですが、ふと気付けば夜型に戻っている。ここ数年で何度目かわからないループが今まさにまた起きています。どうなっているんだ?


 人と会わない時間が増えると自動的に自分一人の時間が増え(とはいえコロナ以前から一人で引きこもって暮らすスタイルだったので実質あまり変化はないのですが……)、その時間の中で、今までの自分の棚卸し、みたいなことをしています。その上でやっぱりわたしにとって大きかったのは去年までのフランス生活なんですね。その中で、目には見えないけれど最も変わった部分って何かなあと考えてみたところ、一番大きいのは「足るを知る」精神ができたことかもしれません。


 「パリにいたときは〜」みたいな話ばかりすると留学かぶれみたいな感じになってしまい(まあ実際そうなんだけど)、あんまり何度も使いたくない気持ちもあるのですが、やっぱり外国に住むことが初めてだった私にとって、大きな気付きがたくさんあったわけです。


 海外に行った人たちがみんな口を揃えていうことを私も例に漏れず書かせていただくと、日本って恐ろしく便利な国なんですよね。特に私は大阪や東京などの中心地で育ち住んできました。日本という国の中でも、地方に比べてあらゆるサービスを享受できる場所です。便利さのレベルが日本の中でもかなり高い。


 フランスに長年住む日本人の方がおっしゃっていてなるほどなと思ったのは、「日本の中でも地方出身の人の方が圧倒的にフランス生活に馴染みやすい」ということでした。たしかにある意味でそうなんですよ。都会っ子はなかなか馴染めない。フランス(特にパリ)ってとにかく不便な国なので、そのギャップに対して自分で折り合いをつけるのがめちゃくちゃ大変なんですよね。

  私は完全に根っからの都会っ子。人混みが苦手で買い物もほとんどAmazonだし、スーパーやクリーニングさえもネット。便利な生活にすっかり染まっていた私は、パリでの暮らしに馴染むのに非常に苦労しました。


 不便さの例を挙げるとキリがないのですが、例えばまず、パリでは荷物が届かない。私が当時住んでいたのは1800年ごろに建てられためちゃくちゃ古いアパルトマンでエレベーターがなかったんですね。変な話、配送の荷物が少し重いだけで運んでもらえないし、デジコードを書き忘れたらもちろん届かない(パリのアパルトマンはほぼ全ての入り口にロックがかかっていて、建物に入るにはその解除キー=デジコードが必要なんです)。ちなみに配達の時間指定という概念はそもそも存在しません。これはなかなか、地味に困りました。


 パリに着いた直後はこういった不便さに「あかんこれはやっていけない……」と絶望を感じたものの、1年後にはすっかり気にしなくなっていました。「この方法は無理」とわかれば、じゃあ別の方法を考えてみよう、となる。そこに怒りの感情や苛立ちは皆無です。最初はもちろん「いやいやなんで?」ってイライラすることが多かったのですが、環境がそもそも日本と違いすぎるので怒るのも見当違いだと気づき始める。本当にそのサービスを使わないとダメなんだっけ?あるものでなんとかできるんじゃないか?とか考えはじめるんですね。ないもの、できないものにフォーカスするのをやめて、あるもの、できることに意識を切り替えるようになる。不便な暮らしをしないと得られない発想かもしれません。


 パリでの生活は結果的にすごくいい変化をくれました。さっきの配達の話の流れでいけば、ネット注文ができないとなるだけで買い物自体がものすごく減りました。買い物するにも自分の足で行かないとならないし、持って帰ることを考えたり、そもそも値段な高かったりでいつも以上によく吟味するようになった。


  かつ、フランス人って本当にものを買わないんです。お洋服でもなんでも、ボロッボロになるまで使う。ねえどうして新しいの買わないの、と聞くと「ねぇまだ使えるのにどうして新しいのを買わないといけないの?」と聞き返される。確かに。じゃあ逆に何にお金を使うの?となるわけですが、ほぼ例に漏れずバカンス(休暇)です。その次が食事、アペロ(お酒)。モノよりも人と過ごす時間にお金を使うんですね。


  人って環境で本当に変わるもので、日本にいた頃は服を毎シーズン毎シーズン欠かさず買っていた私も、フランスではほとんど言っていいほど買いませんでした。みんな、気に入ったものや持っているものを永遠に着ているので、自然と「新しい服が欲しい」という気持ちがなくなっていったんです。


  彼らは同じ服を着ていても、どうも「恥ずかしい」みたいな感覚はないみたいで、これは私が思うに古くからの文化のようです。今日、1960年代のフランス映画、ジャン=リュック・ゴダールの「女は女である/une famme est une famme」を久しぶりに見返したのですが、あることに気づき妙に感心してしまいました。

  90分の映画の中でヒロインが着る服のスタイルは、たった3〜4種類しかないんです。衝撃的に少ない。邦画やアメリカの映画じゃ考えられないですよね。それこそ「プラダを着た悪魔」や「SATC」なんて着せ替え人形のように何十種類ものスタイルが出てくるじゃないですか。少ないスタイルであってもそれがクールであれば気にしない、というのがフランス流なのかもしれません。


閑話休題。


  そうやってフランスでの生活を思い出しながら、やっぱり環境の力は絶大だな、しみじみと感じたわけです。


  足るを知る。今の状況にもものすごく当てはまるよなあと思います。できないこと、足りないものに目が行きがちですが、そこに注目するのではなく今あるものの見方を変えてみる。そうすれば、実はもうわたしたちは全てのものを持っているということに気付けるかもしれません。

  そんな風に捉えられたら、豊かな暮らし、なんて映えそうな発言をしなくても、昨日よりちょっとだけ軽い気持ちで今日や明日を過ごせるかもしれない。

フランスでの暮らしを思い出しながら、そんなことを思いました。

読んでくださりありがとうございます。
あなたにとって今日が、暖かい1日になりますように。



とはいえ、人に会いたいよなあ。





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