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君は美しい(最終夜)

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空港の中で30分ほど腰かけていたが、心はざわざわしていた。

なんとなく、背筋をしゃんと伸ばしていないと落ち着かない感じ。

チェックインカウンターがオープンしたので、先にスーツケースを預けに行く。

すぐに元いたイスに戻り、まわりを見渡すが、彼はいない。

出発時間まで、あと1時間半だ。

もう少ししたら、搭乗ゲートに行ったほうがいいだろう。

(来ないんだろうか)

もう、彼にとっては、終わりということなのだろうか。

(今朝、別れたのが最後……?)

(もしかして、来る途中で事故に遭っているのかも)

(どうしよう)

悪い想像だけがふくらんでいく。

入口を何度も振り返り、電話してみようか悩んだ。

初めて会った日に渡された電話番号は、大事に手帳にはさんである。

立ち上がり、公衆電話へと歩いた。

電話機に書かれた金額を探す。

(全部、スペイン語だ……)

そもそも、もらった番号が携帯電話なのか、家の電話なのかもわからない。

もし家の人が出たら、私は「ネスティいますか?」すらも、言えない。

とにかく、適当な小銭を入れて、かけてみるしかない。

受話器を持ち上げ、耳に当てる。

(……)

無音だ。

壊れていると気づくのに、少し時間がかかった。

がっかりすると同時に、すごくホッとした気分にもなった。

ものすごく緊張していたらしい。

イスに戻る前に、飛行機の発着を表示している、電光掲示板を見に行った。

もし時間通りなら、そろそろゲートに行ったほうがいいかもしれない。

自分が乗る便名を探すと、どうやら遅れているようだ。

続いて、時間が表示された。

(2時間……)

2時間の遅れ。

まるで、この国での延長タイムをもらったようで、肩の力が抜ける。

焦っていた気持ちが消え、ふたたび入口近くのイスに腰かけた。

(彼は、いつも遅れてくるから)

そうなのだ。

ネスティが、今まで時間通りに来たことはなかった。

(9時じゃなくて、8時って言えばよかった)

早く来て欲しい。

いつものように、少し微笑みながら、「ごめん、バスが遅れて」と言いながら。

(声だけでも、聞きたい)

数時間前まで一緒にいたのに、もう遠い昔のことのようだ。

彼は本当に、実在していたのだろうか。

全部、夢だったのではないか。

そう思うのも無理はない。

いつも、夢みたいな笑顔で、夢みたいなことばかり言っていたから。

あれが全部、演技だったとしたら……大したものだ。

誰だって、見抜けないだろう。

あんなに情熱的に、求めあったのに。

あんなにまっすぐ求められたのは、初めてだったのに。

時間があると、悪いことばかり考えてしまって、よくない。

しかし今は、このイスから立ち上がる勇気がなかった。

(さっさと中に入ってしまえばいい)

彼の手が届かないところに行ってしまえば、あきらめもつくだろうか。

夢から覚めるだろうか。

(でも、もし彼が来たら)

私は、果たして飛行機に乗れるのだろうか。

彼とこのまま、この国に埋没してしまいたい。

そう思うのではないだろうか。

(でも、そこに私たちの未来はあるの?)

もう何度も考えてきたことが、またグルグルと頭を駆け巡る。

そうしている間に、1時間が過ぎた。

(もう来ないかもしれない……)

予想はしていたことだった。

私は短期間だけの、恋人。

このまま日本に戻って、いつも通りの日常に戻る。

仕事して、テレビを見て、たまに友達と飲みに行って、ショッピングして、そして恋愛もするんだろう。

ゾッとした。

そのどれも、何ひとつ、彼以上に私を満たしてはくれないと、はっきりわかったからだ。

(嫌だ)

砂漠で乾ききった喉のように、心が彼を求めている。

もう、愛してなくていいから。

(お金目当てでも、何でもいいから)

さいごに、ひと目会いたい。

私に生きる希望を、与えて欲しい。

唇をかみしめ、化粧が崩れるのも構わず、両手に顔を沈めた。


そのときだった。


トントン、と指先で誰かに肩を叩かれた。

まったく予想しないタイミングだったので、空港の職員だと思い、振り返った。

イスの背もたれに両手をついて、見下ろすように、彼が立っていた。

「ごめん、待たせて。バスが遅れたんだ」

都合のいい夢を見ているのかと思った。

あまりに、期待通りすぎて。

息を切らしながら、ネスティは笑っている。

「間に合ってよかった」

無言で立ち上がり、イス越しに彼に飛びついた。

筋肉質な腕が、しっかりと抱きしめてくれる。

外で初めて、自分から彼の唇にキスをした。

まわりに人がいるのも構わず、彼はしっかりと応えてくれる。

(ネスティだ)

本当に来てくれた。

くちづけしながら、涙が止まらなかった。

「どうしたの、ノリコ?」

私の涙に気づいて、ネスティが驚いたように聞く。

「もう来ないと思った……」

ネスティは私に座るように促すと、自分も隣に腰かけた。

「そんなわけないよ。間に合わないかもとは思ったけど、僕が来ないなんてこと、あるわけない」

そう言って、私の頭を抱き寄せる。

つけたての濃い香水の匂いに包まれて、もう死んでもいい、と思った。


そのまま、何を話すでもなく、ただ彼の体温を感じている。

ネスティも、黙って私の髪をゆっくりと撫でている。

「ノリコ」

呼ばれて、顔を上げた。

「覚えていて。どこにいても、僕たちは空でつながっていると。君が僕を思うとき、僕もまた、君のことを考えているよ」

まっすぐな瞳に、嘘はない。

(いつまで、私のことを思ってくれるのかな)

また涙がにじみそうになったところで、無情にも、搭乗アナウンスが流れた。

とうとう、時間が来てしまった。

待ちくたびれた乗客たちが、我先にと行列を作っている。

「……行かなくちゃ」

立ち上がった私を、ネスティは正面からぎゅっと抱きしめた。

長い長い、ハグ。

その腕の力強さを、私は忘れないだろう。

世界のどこにも、私をこんなにしっかり抱きしめてくれる人など、いない。

彼の両腕がゆっくり解かれ、見上げた私の頬を、愛おしそうに撫でた。

「ノリコ……」

うっとりと囁く。

「君は本当に、美しい」

それは、魔法の呪文のよう。

さっきまでの悲しい気分が消え、甘美な悦びが浮かんでくる。

お別れのキスをして、さっきより短くなっていた列の最後に並んだ。

出国審査の、とびらが閉まるとき。

心からの微笑みを、彼に向けた。

ネスティも、微笑んで手を挙げる。

とびらが、閉まった。


搭乗ゲートに向かいながら、心は、使命感のようなものに満ちていた。

私には、日本に帰ってやることがある。

(お金を稼がなくちゃ)

彼を失わないために。

どうすれば彼が私を愛し続けてくれるか、もうはっきりしている。

私は、彼を手放すことができないんだから。

それならば、やることはひとつだ。

(働こう)

日本でたくさん働いて、貯金して、できるだけ早く戻って来よう。

そのためなら、なんだって耐えられる。

あの魔法の呪文さえあれば、ほかにはもう、本当に何もいらない。


ノリコは、ガラスの向こうに到着している飛行機を、まばたきもせずに見つめていた。
生まれて初めて、自分の人生を生きているという感覚に、ひどく興奮していた。

「君は美しい」

その言葉だけが、さっきからずっと頭の中で、リフレインし続けている。



長らくのご愛読、本当にありがとうございました。

完結を記念し、11月7日の14時からSHOWROOMで配信をおこないます。

詳細はTwitter(@hitomicubana)でご確認ください。

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