労働拒否!

最近はありがたいことに「仕事ができる」との評価をいただくことが多い。十代半ばでメンタル発症して、「人よりできないのだから頑張らないと」「できてないできてないできてない」と思い込んできた私からすると、とんでもないこと!

15年前の私に言っても信じまい、「将来仕事できるって言われるよ!」なんて。自己評価が歪んで歪んで無茶苦茶だったあの頃の私と今の私とは全然違うもんなぁ

自分にできる仕事があるってこと、評価されるってことは正直ちょっと気持ちいい…けどそこに甘んじて他人を見下すようになったら人間終わりである、そこから先はもう何もない、誰かの心を動かすことも、救うことも、寄り添うこともできなくなる、ただのゴミになる。そんなのは嫌!

正直仕事が嫌でなくなってきている自分が怖い、あれだけ嫌だと思っていたはずなのに、評価されることにハマり始めている自分が怖くて嫌だ。仕事も大概にしなければならない、馬鹿になる。

働いていて思うのは、仕事ができることを鼻にかけている人間って本当にみっともなくて、ダサいってこと。仕事ができるできないは数ある物差しの中のたった一つに過ぎない。周りがよく見える、あれをやりながらこれもできる、作業が早い。まあそりゃいいね、でもだから何?

ここでいわゆる色んなことが「手際よくできない人」に教えてあげたいことがある。周りを見る余裕なんてない、自分の作業で精いっぱい、頑張っても人より遅い…っていう人に。

確かにそれはそうなのかもしれない、でもあなたは存在することに意味がある、なぜならその職場にいる人たちはみんな「こいつよりはできる」と思って気持ちよくなっているはずだから。仕事なんていうのはそんなもん、あいつよりできるできないとか、そういうくだらない話。

できなきゃできないでいいし、できないことによって、性格の悪いカスの精神衛生に十分貢献している。それでいいじゃないか!
自分よりできないやつがいるっていうのはそれなりに安心するものだ。自分はそういう安心をあいつらに与えてやっているのだ!と思って心の中で見下していればいい。

しかしこんな風にここまで思っている私でも、評価されるのは気持ちがよかったりするのはマジ怖ぇ。あえて全部ぶん投げて労働を拒否するなどしないと頭がおかしくなる、真面目になんて働くもんか!ちきしょう!そんなんで私を飼い慣らせると思うなよ!

まん防解除のタイミングと私の失業給付開始のタイミングは正に神の采配といってよい…きちんと求職しつつ人生楽しませてもらうぜ、ざまあみろ!

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