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社会学と経済学の話:人事評価における差別がなくならない理由

以前の稿で、人事評価における差別(正確には統計的差別)がなくならない心理学的な理由を書いた。そして、その差別は心がけを変えようとしても避けられるものでないことも述べた。


ところが人事評価における差別の問題はもっともっと根深い。この差別にほとんどの人が気づいていながら、抜け出せないメカニズムが存在する。

この記事では、差別を放っておくと取り返しのつかないことになってしまうそのメカニズムを、社会学と経済学の観点で紹介する。

例えば、ある会社の人事が女性職員に対して根拠のない偏見をもっていたとしよう。女性はすぐに辞めてしまううえに、生産性も低い、という偏見だ。合理性だけはある統計的差別などよりずっとひどい、悪意に満ちた差別である。

仮に、その会社がそのように振る舞うとどうなるか。まず、入社した女性たちは社内マイノリティとして、さまざまな問題に直面するだろう。男性観点中心の社内文化やルールが育っていきやすいだろうし、福利厚生についても女性視点が取り入れられにくくなるだろう。さらに、もっとも重要なのは、男性よりも研修や教育の機会が制限され、自分を伸ばすチャンスを得られにくい職場環境におかれてしまうことだ。

このような環境に置かれれば人はどう思うか?男女問わず、

「こんなところ、やってられるか!」

と思うのが、普通だろう。この会社では、女性の方が特にそう思ってしまう環境になっている。そんな状況では、当然女性の方が男性よりも会社を辞めたいと強く思うだろう。


結果として、女性の離職率は本当に高くなるのだ。

そして、生産性の高いハイパフォーマーの女性ほど、他によい転職があれば簡単にやめてしまうため、その会社に残る女性は、総じて他に転職先がみつかりにくいローパフォーマーの女性が多くなってしまう。つまり、生産性も再び低くなってしまう。

この現象を「予言の自己成就」という。

「女性はすぐに辞めるし、生産性が低い」という根拠のない偏見に基づいた行動が、巡り巡って「本当」になってしまう現象を意味する。「予言の自己成就」という言葉は、アメリカの社会学者、ロバート・マートンが使った社会学用語だ。

この予言の自己成就のメカニズムの中で特に重要なのは、「逆淘汰」とよばれる部分だ。

先の例でいえば、働きにくい労働環境化で、有能な女性社員ほどやめていきやすい、という現象を指す。会社にとっては、有能な社員にこそ残ってほしいのに、その逆の現象が起こってしまう。これを経済学用語で逆淘汰、あるいは逆選択と呼ぶ。

そして、この現象が起こった後、客観的データとして、女性の離職率は高く、女性の生産性は低い、という結果が出てしまう。それがもとになって、今度は合理的な統計的差別が起こってしまうのだ。それは悪循環を呼び、女性はますます就職するのが難しくなり、生産性を上げるチャンスが低くなってしまう。

いったんこの負の連鎖が起こってしまうと、抜け出すのは非常に難しい。始まりは根拠のない偏見だったが、その後差別が合理的なものになってしまう。いったんそうなると会社組織として、わざわざ非合理なことを行うインセンティブはないため、女性差別はずっと続くことになってしまう。つまりこの差別状態が一種の「均衡」となる。

今の日本の会社組織では、このような予言の自己成就から始まった統計的差別が悪循環を招き、「均衡」に陥っているケースが非常に多いのではないかと、私は考えている。世界的にダイバーシティ・インクルージョンマネジメントの重要性が叫ばれている中、日本でそれが進まないのは、女性、学歴をはじめとして、年齢、性的志向などの多くのカテゴリにおいてこのメカニズムが働いているのだと推測する。

重要なのは、この状態は会社組織全体にとってもよくない、という点だ。偏見などなく、男女問わず社員がその能力に応じて報われるのが理想的な状態なのに、一度陥った悪循環のために、会社組織自体が自縄自縛に陥ってしまっている。

差部される個人にとっても、差別する会社組織にとっても良いことはないのだ。にもかかわらず、それを是正するインセンティブがどちらにもない。これは悲劇だと思う。

ノーベル経済学賞を受賞したジョージ・アカロフは、逆淘汰が起こる原因を「情報の非対称性」であると分析している

情報の非対称性とは、経済交換を行う主体が持つ情報に偏りがある状態のことを指す。この例でいえば、交換を行う主体は、会社と個々の女性社員である。個々の女性社員のもつ仕事の能力について、会社は正確に把握していない。会社は女性社員全体の平均(あるいはもっとひどい場合にはデータに基づかないネガティブなステレオタイプ)を個人に当てはめてしまっている。つまりものすごく有能な女性Aも、ものすごく残念な女性Bも同じ能力だと推定してしまっている。

一方、女性個人は自分の能力を、(少なくとも会社よりは)正確に把握している。したがって、このような環境下では、有能な女性Aは、残念な女性Bによりも、会社を辞めて転職するメリットがはるかに高い。結果として、有能な女性ほどすぐに辞めていく悪循環が起こる。

これを打破するには、何が必要か。答えは簡単だ。

「情報の非対称性」を無くせばよい。

この例で言えば、会社が個々の社員の能力を正確に把握できれば、情報の非対称性はなくなる。

弊社ヒトラボジェイピーが開発したマシンアセスメント、および他のサービスは、簡単に言えば、情報の非対称性を無くし、差別の均衡を打破するためのものだと考えている。

もちろん、それは言うほど簡単ではない。そもそも仕事に必要な能力とは何か、それをどうやって測定できるのか、将来伸びるかもしれないが今は表に出ていないポテンシャルを測定できるのか、などの問題が山積している。

弊社では、サービス提供以来、クライアントからのフィードバックや最新の学問知見を基に、常にアップデートを行い、少しずつではあるが上記の問題を解決するための試みを続けている。

実際、弊社がクライアントからいただく情報には、性別も年齢も学歴も入っていない。そういった情報を使わずして、仕事の能力を測定することこそが重要で、しかもそれは十分に可能だと考えているからだ

それらのサービスを通して、「公正で正確な人事評価」を提供することが弊社の目指すものだ。それは、日本のビジネスがグローバル化社会の中で生き残るためだけではなく、働く個人、会社組織、ひいては日本社会全体の幸せのために必要なのだと、私たちは信じている。

文責:渡部 幹

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