新型コロナウィルスに対する神意を『おふでさき』から悟る試み

※本noteは天理教の信者向けに書かれた記事です。

ですので教信者にしか分からないような教語が多く使われており、またその解説も行っておりません。

その点、ご注意ください。

はじめに

新型コロナウィルスの感染が拡大し、世界は戦々恐々としていますね。

天理教教会本部においても、3月3日の正午、早期収束と罹患された方の助かりを願うお願いづとめがつとめられました。

さて、こういう時に必ず考えられるのが、「この節に対してはどういう神様の思召があるのか」ということです。

それを悟る為の方法は色々にあると思いますが、私は基本的にいつも原典及びひながたを参照します。

そして私は今回のことに限らず、何か世界で動きがあった時は必ず、それに対する神意を悟るために、『おふでさき』や『おさしづ』、『逸話篇』なんかを開いては自分で納得のいくまで調べます。

けれど、それはあくまで自分で納得するためにしていることであって、その結果を誰かに話すようなことは基本的にはしません。

ただ、今はこのnoteを通して、自分の考えを発表する機会も増えてきましたし、それを読んでくださる方も増えてきました。

そしてそれらの記事に喜んでくださる方も居てくださいます。

そこで、「いつも自己満足の為にやっているだけの悟りの作業の結果を、公表してみたらどうなるんだろう?」という、純粋な好奇心から、書かれているのが今回の記事です。

なので、「今回の節に対する神様の思いはこうだと思う」だなんて、大それたことが言いたいがためにこの記事を書くのではありません。

どちらかと言うと、そこに至るまでの方法論というか、私はこういうやり方をしてますよ、くらいのことが言いたいのであって、それを元に、皆様方もそれぞれのやり方で、今回の節に対する神意をたずねていただきたいと思っています。

『おふでさき』における感染症

さて、今回は煩雑にならないように、ひも解く原典を『おふでさき』に絞ります。

他の原典もひも解きましたが、おそらく『おふでさき』だけに言及した方が分かりやすかろうと思われる内容でした。

さて、『おふでさき』の中で、特に感染症について触れられていると思われる語句は「ほふそ」「はしか」「これら」「ねつ」「くだり」「うしのさきみち(牛疫)」などが挙げられるかと思いました。

「でけもの」が感染症を元にする場合もありますが、今回のコロナとの関連は薄そうなので省きます。

以下に、上記の語句が出てくる「おふでさき」を示します。

いまゝでの うしのさきみち をもてみよ 上たるところ みな気をつけよ 四号ー18
どのよふな いたみなやみも でけものや ねつもくだりも みなほこりやで 四号ー110
むまれこふ ほふそはしかも せんよふに やますしなすに くらす事なら 六号ー110
いまゝでも をびやほふその このゆるし なんとをもふて みながいたやら 七号ー78
このつとめ どふゆう事に をもうかな をびやほふその たすけ一ぢよふ 七号ー97
このたすけ いかなる事と をもうかな ほふそせんよの つとめをしへる 七号ー98
このたすけ どふゆう事に をもうかな ほふそせんよの まむりこしらゑ 八号ー31
このたすけ どふゆう事に をもうかな ほふそせんよに たしかうけやう 十二号ー95
このたすけ どふゆう事で あるならば ほふそせんよの まむりつとめを 十三号ー114
せかいには これらとゆうて いるけれど 月日さんねん しらす事なり 十四号ー22

私が見つけられたのは以上の十首でした。

しかし、このおうただけ並べてみて、読んでみても、なかなか神意を悟ることは難しいです。

なので、前後のおうたを参照します。

『おふでさき』にはちゃんと流れがあり、おうた同士が繋がっているので、ちゃんとそのおうたの前後で言われていることに注目することが大切です。

そして、今回の場合ですと、この十首のおうたの前後を読んで、それらの中から共通項を探します

さっきのおうたの時にも、これについて言われていた、あ、まただ、というような発見を繰り返しながら、神様の思いを探ります。

さて、私が普段している悟りの作業はそんな感じです。

ですが、その結果をそのまま書いても、「私はこう感じました」という主観の域を出ない話になると思いましたので、今回は、客観的に見えるように、少しデータ化しました。

つまり、この十首の前後に頻出する単語で、かつ、この十首の前後以外ではあまり出てこない単語は何か、ということを、ちゃんと計算してみました。

まず、「前後のおうた」を定義します。

『おふでさき』にどう区切りを入れるか、ということは長年研究されてきたことで、私も最初は独自の区切りで計算を初めていましたが、おこがましいことだと思いなおしましたので、今回は号全体を前後のおうたとします。

つまり今回ですと、四号、六号、七号、八号、十二号、十三号、十四号にあたる、741首を、前後のおうたとして、感染症が出てくるおうたと関連するはなしについて述べられたおうたであると、位置づけたいと思います。

『おふでさき』は全1711首ですので、741首は全体の43.3%にあたります。

つまり、ある単語が、この741首の内に出てくる数を、全体の内で出てくる数で割って、それが43.3%よりも有意に多ければ、それは感染症に関するおうたの前後によく出てくる単語だと言えると思います。

ま、結果を見てもらった方が早いですね。

以下のようになりました。

適当にやったので、絶対に数え間違いもあると思います、すみません。

100%というのは、感染症に関するおうたの前後にしか、その単語は出てきていない、ということですね。

そして、統計学的には、有意に差があるかどうかということは、ちゃんと煩雑な計算をしないと分からないのですが、私にその知識はありませんので、今回は50%以下の単語を、感染症とはあまり関係の無い単語だと位置づけました。

さて、更にこれらの中から、よく出てくる単語をグループ分けしていきます。

①感染症の原因・・・・・「うたがう(い)」「はびかる(り)」「いづむ(み)」「うそ」

②感染症に対する神様の思い・・・・・「怖い(き)」「危ない(き)」「心配」「待ちかね」「急き込む(み)、急く」「なさけない」「ざんねん」

③思いを伝えたい対象・・・・・「大社」「高山、高い所」「一れつ」

④感染症と並行して起こる結果・・・・・「雷」「地震」「大風」「天火」「火の雨」「津波」「山ぐえ」「牛馬」

⑤感染症から助かる為の方法・・・・・グループ1「つとめ」「をびや」「いき」「肥」「願う」

グループ2「守護」「たすけ」「じゅうよう」「請け合う」「(心を)晴らす」

グループ3「心」「陽気」「真実」「誠」

以上のように書いてみると、もう大分と神意が悟りやすくなりましたね。

以下、簡単にまとめてみたいと思います。

『おふでさき』に表れた、感染症に対する神意

まず、対象についての話から始めたいと思います。

感染症についてお話になられている文脈で、よく出てきた対象は、「高山、高い所」「大社」「一れつ」でした。

「日本」「唐」「天竺」といった文脈や、「上」という言葉とはあまり関係がありませんでしたし、また「そば」や「うち」という言葉とも一緒に使われておりません。

やはり、感染症というのは、世界一れつの全ての人々に対して見せられたものであると同時に、その世界を支配している「高山」の人たちに、特に見せられたものなのかもしれませんね。

実際、今回のコロナウィルスでも、あれだけやりたい放題していた中国共産党政権が、国の内外から大批判に遭い、少しおとなしくなりましたし、時を同じくして、中国の経済戦争相手のアメリカも、インフルエンザの大流行に苦しみました。

もし、今回の感染拡大が無かったら、激化した両国間の経済戦争は、瞬く間に本当の戦争に発展していたと思います。

神様が、世界の寿命を、感染症によって少し延ばしてくれたようにも感じます。

また、世界中の人々と、高山の人間に対して見せられるという点では、「雷」「地震」「大風」といった自然災害と、同列に並べられていることもよく分かります。

逆に感染症は、「やまい」「障り」「ほこり」「掃除」「かやし」といった言葉とは、意外にも一緒に使われていません。

つまり感染症は、かかった個人に見せられた身上というよりは、世上に対して見せられた、災害の一種としての側面が大きいのかもしれませんね。

歴史的にも、感染症をはじめとした災害が起こると、時の支配層に不満が向いて、革命が起こる、というのはよくあることですしね。

また、感染症が起こる原因としては、「はびかる」「うたがう」「いづむ」「うそ」などが挙げられましたが、「はびかる」は「大社」や「高山」とセットで使われることが多く、「うたがう」も、神の言うことに対して「高山」の言うことの方を気にする心に対して使われていることがほとんどです。

「いづむ」のも「上を思っていづみ居る」ように言われますし、「うそ」も、高山の言うことに従って、「神の言うことを聞かない」様に対して言われています。

感染症の原因としては、高山自体がはびかっていることと、その高山を気にする余り、神様の言うことをないがしろにしている、道の有り様が、挙げられるかもしれませんね。

そんな高山と、世界の人々、また道の人々に対する神様の思いとはどのようなものでしょう。

まずその御心の根本には、人間たちが、そのまま行けば「怖い」「危ない」ことになってしまう道を通っていることに対する「心配」という、温かい親心があります。

そして、早くそんな危ない道を出て、助かる道へと出てほしいという「待ちかね」る思いと「急き込む」思いがあります。

しかし、そうした再三に神様が見せられる「急き込み」に対しても、依然として心を入れ替えようとしない姿に対して、「なさけない」「ざんねん」だという思いがあるように思われます。

そして最後に、では感染症から助かるためにはどうすれば良いか、という話です。

端的に言えば、おつとめ、です。

おつとめさえすれば助かります。

助かる手段のグループ1の語群には、「つとめ」「願う」「いき」「をびや」「肥」といった言葉が入りました。

そもそもおつとめには種類があって、おやさまはその願い出によって、十一通りのつとめというものを教えられました。

「をびや」や「肥」はその種類の内の一つであり、「ほふそ」もその願い出の一つです。

「いき」は、「つとめ」とセットになるたすけの手段である「さづけ」の種類の一つですね。

そして、これは今ではあまり言われなくなりましたが、26日におぢばにおいてつとめられるかぐらづとめには、様々な呼称がありますが、この十一通りのつとめに対して呼ばれる名前としては「よろづたすけのつとめ」というのがあります。

私はこれを、十一通りの願い出、その全てを含むおつとめであるという風に解釈しています。

つまり、月々おぢばでかぐらづとめが違うことなくつとめられることで、この十一通りの願い出も、自然と願われて助かっていく、ということです。

さて、ここで質問です。

今、コロナウィルスよりも、インフルエンザの方を警戒すべきだ、とか、色んな感染症との比較が行われていますが、人類史上、最も多くの人間を殺した感染症って、何だと思いますか?

答えは天然痘、つまり、「ほふそ」です。

ペストやインフルエンザなど、一度に大勢の人が死ぬ感染症が注目されがちですが、そうした、時々流行を起こす感染症と違って、天然痘は、人間がまだ原人だった時代からその痕跡が見られ、古来から当然のように人間と共にあり、日常的に流行し、通算すれば、最も多くの人間を殺してきた感染症であると言えます。

それくらい、「ほふそ」は、当時の人々にとって最も脅威であった感染症でした。

でも、今、天然痘にかかる人っていませんよね?

なぜなら、天然痘は、1980年に、根絶されたからです。

ではここで、もう一つ、質問です。

天然痘の他に、根絶された感染症は、いくつあるでしょうか?

答えは、0です。

天然痘以外に、人類が根絶できた感染症は無いんです。

ではなぜ、人類史上、最悪最恐の感染症であった天然痘だけを、人類は根絶することができたのでしょうか?

科学的には、この質問に様々な答えを用意することができます。

しかし私は、この質問にはこう答えたいと思います。

人類が、世界で唯一、天然痘だけを根絶することに成功したのは、天理教がおつとめをつとめたからです。

何を言ってるんだ?って思われるでしょう?

でも、これ、本当のことなんです。

「ほふそのつとめ」の願い出を含む、「よろづたすけのつとめ」を、天理教が毎月26日におぢばでつとめていたから、人類は世界から「ほふそ」を根絶することができたんです。

それだけじゃないです。

全世界で、出産における母子の死亡率はこの100年強で劇的に下がっています。

日本の場合、1900年ごろ新生児死亡率はおよそ10%でしたが、現在は約0.9%です。

それは、天理教が「をびやづとめ」を含む、おつとめをつとめたからです。

また、十一通りのつとめには、農業に関連するつとめも多いですが、おやさまが、「末では一反につき四石も作り取らせたい」という旨をおっしゃって教えられたそのおつとめをつとめた結果、現在本当に、日本の米の収穫量はそれくらいの量になっています。

それもやっぱり、天理教がおつとめをつとめたからです。

世界から戦争は無くなってはいません。

けれど、数百年前と比べると、世界における戦争の数は激減も激減です。

それも、天理教が「むほん」のつとめを含むおつとめをつとめたからです。

今から183年前、1838年の江戸時代の末期、人々の生活はどのようなものだったか?

歴史の授業で習いましたよね?

じゃあ、その更に200年前の生活はどうだったか?

1600年ごろの、江戸時代初期から、1800年ごろの江戸時代末期まで、人々の生活はそれほど大きくは変わっていません。

その前の200年も、更にその前の200年もそうです。

人々の生活は、たった200年で、劇的によくなったりしたことは無いんです。

でも、天理教が立教してからの、ここ200年で、人々の生活はどれほど変わったことでしょう?

江戸時代の生活が、たった200年弱で、今の高度な情報化グローバル化社会になるんですよ?

人々の生活は、劇的に豊かに、便利になってますよね?

それは何故か。

天理教がおつとめをつとめたからです。

信じられなくて当然かもしれませんが、これを信じられる人のことを、私は本当の意味で、おやさまの「信者」だと言えるんだと思います。

世界がこれだけ豊かになったのは、おつとめのお陰です。

裏を返せば、私たちに今くらいの、もしくはもっと先の更に便利で豊かな生活をしてもらいたいからこそ、そのために必要な「おつとめ」を、神様は教えてくださったんです。

世界は今も、確実に陽気ぐらしに近づいています。

だって、天理教がおつとめをつとめているんですから。

それによって、これだけ目まぐるしく世界が変わってきているんですから。

おつとめには、それくらいの大きな大きな力があります。

なので、天理教が今まで以上にそのことを信じ切っておつとめを心込めてすれば、それだけで世界はどんどんどんどん良くなっていきます。

コロナウイルスだって楽勝です。

きっと、今回のコロナウイルスという姿が見せられた所以も、「おつとめをつとめてもらいたい」という所にあるのでしょうから。

さて、助かるための手段のグループ2には、「守護」「たすけ」「じゅうよう」「請け合う」「(心を)晴らす」といった語句が入りました。

おつとめをすれば、必ず「守護」や「たすけ」といった、神様の「自由自在」の働きを、表すことを確かに「請け合う」ということです。

そして、おふでさきにおいて、「(心を)晴らす」という言葉が出てきた時、その守護は、人間ではなく神様です。

神様の心を晴らすための手段がおつとめであり、それによって、世界に守護やたすけが表れてくるのです。

また、グループ3には「心」「陽気」「真実」「誠」といった語句が入りました。

おつとめとは、人間の「心」を神様が受け取る為の手段です。

「かしもの・かりもの解説」でもお話ししましたが、人間の本質とは「心」しかありません。

「心」以外に神様に受け取っていただけるものは無いのです

では、どのような心をお供えさせて頂けば良いのか、その手掛かりが、「陽気」「真実」「誠」といった言葉に象徴されているのかなと思います。

おつとめも、ただつとめるだけでも効果はあるのかもしれませんが、やはりつとめる人間の心が何よりも重要であると、『おふでさき』にも記されています。

おつとめに、陽気で誠真実な心を込めてつとめる。

そのことによって、今世界全体が直面しているような大問題は解決する。

むしろ、それ以外に活路は無い。

そのことを、私たちにお知らせくださる為の、お知らせとして、今回のコロナウイルスの件もあるのかな、と思います。

おわりに

『おふでさき』を、データ化したり、分析したりなんてけしからん!と、思われる方があったら是非ご意見をお聞かせください。

私としては、『おふでさき』は神棚に祭って遠くから拝んでいるような、そんな神聖な扱いをされるべきものというよりも、もっと生活に身近で、俗っぽく扱われるべきものなんじゃないかなって思うんです。

また、ここからまた少し長めの話を、最後に付け加えておきたいと思います。

私は調べものが趣味なので、今回のコロナウイルスについても随分と調べていました。

その上での私個人の感想は、「そこまで大騒ぎするほどのことでもないのにな」です。

事実、今回の新型コロナウイルスは、そこまで恐るべきウイルスではありません。

しかし、今回は予行練習だと思うのです。

人類はおそらくこれから、鳥インフルエンザの突然変異による、ヒトーヒト感染という、恐ろしい事態に直面することになる可能性は高いです。

インフルエンザは、今でこそ予防接種や特効薬がありますので、今ほどの流行具合で済んでいますが、世界に初登場した時にはこうした対処法が無いため、大混乱を起こすのです。

現在インフルエンザA型の一つとして知られる「H1N1亜型」は、初登場時は、スペイン風邪と呼ばれ、当時の全人類の30%にあたる5億人に感染し、5000万人~1億人を殺しました。

他にも、アジア風邪「H2N2亜型」や、香港風邪「H3N2亜型」なども、初めてヒトからヒトへの感染を起こした時には、多くの人を殺しました。

しかし、鳥インフルエンザには「H1」「H2」「H3」「H5」「H7」「H9」などの型があるのですが、今までヒトからヒトに感染した「H1」「H2」「H3」などは、実は弱毒性なのです。

「フッ、奴らなど我らインフルエンザの中では最弱。本気を出すのはこれからよ・・・」

みたいなバトル漫画的展開なんです。

でもそんな弱いインフルエンザ達に、毎年これだけ多くの人を殺されている人類ですよ?

H5型やH7型なんかが感染するようになったら、どうなってしまうんでしょう?

ちなみに、H5型は、もう鳥からヒトへの感染はしています。

その時の致死率、どれくらいだと思いますか?

今これだけ大騒ぎしている新型コロナウイルスは、当初2%ほどと思われていましたが、実際の所は0.6~1%くらいみたいですね。

ところがこのH5型の致死率、60%~70%です。

ヤバいですよね(語彙力)。

そんなウイルスが、いつヒトからヒトに感染できる突然変異をするか分からない、そういう状況に人類はいます。

なので、たとえ対策に失敗しても、まだ小さな被害で済む新型コロナウイルスが流行している間に、しっかりと対策の予行練習をしておいた方が良いんです。

感染症が本気を出してくるのはこれからです。

私は同じようなことを、東日本大震災や、熊本地震の時にも思いました。

だって、みんなが南海トラフや東海地震を警戒している時に起こったのが、東北や九州での大地震でした。

けれど、歴史的に見ても、本当に怖いのは、南海トラフや東海地震なんです。

それほど警戒していなかった東北や九州の地震でこれほど大きく被害が出るのに、南海トラフや東海地震が来たらどうなるんだろう?

そういうことを、私たちは本当は考えなくてはいけないんだと思います。

ある意味では、今は神様の「見許し」の時期なんだと思います。

まだ、猶予期間を頂いているような状態です。

こうしたまだ小さな「お知らせ」の間にしっかりと悟って、心を入れ替えて、つとめをするようにならなくてはならないのかもしれません。

脅すような論調になってしまいましたし、それは神様にとっても本意ではないのだと思うのですが、「このままではいけない」と、強く思ったため、今回の筆を執った次第です。

R183.3.6

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