本部や各教会が月次祭を縮小することについて『おさしづ』をもとに考える

明治三十二年十一月二十三日

ペスト病予防のため秋季大祭延期の事を、警察より忠告により御許し願


さあ/\尋ねる処/\、どうもこれもう世界中という。皆道理に攻められて居る。道理に絡まれて居る。今日の日というは、人々改めて、延期や/\と言う。この間は結構や/\。どんな事してもはい/\と言うは、結構や。どうでも通れん日がある。大祭々々延ばすよかろ/\。これは成程の理。延ばそうと言うても延ばさらせんが理。なれど、どうなりこうなり、不精々々理。世上一寸ほんの掛かり、何処からどんな流れ水出て来るとも分からん。そこで前々刻限に諭したるという。掃除に掛かりたら、道具が要る、要る。何か一寸始まりのようなもの/\。今の処、そんならそうやと軽く治めてやれ/\。寄り来る者もどうという。ほんにそうやなあと心映りたら分かる。心配は要らん。なれど、皆答という。踏み止める理無くばならん。踏み止めるというは、皆の精神という。一時そんならそうと世界理もある。皆こうと言うは、委せ置くによって、延びようが、縮めようが構わん。心に理あれば、よく真実の心受け取る。真実勤めた処が、あちら向きこちら向き、そも/\ではどうもならん。まあ/\、こうと言うやこうにして置くがよかろう。

押して、部下へ電報にて通知する事願


さあ/\、まあ延ばそうと言うて延ばせば、道理に適う/\。一寸、何でやろうという処もあろ。後々鮮やか分かる。ならんと言うて来たなら、ならんと言うは理、頼み言葉なら、頼み言葉に聞いてやるがよい。


私なりの解釈


尋ねるところ、今回のペスト病の感染拡大は、もはや世界中の事情となっている。
道の者みんなが警察から大祭の延期を忠告されるという、世間の道理に攻められて絡まれている。
今回のところは、人々が大祭の日を改めて延期やと言っていることは結構や。
警察が大祭を延期しろと言うことに、はいと言うことは結構や。
ただし、これは今回の場合に置いてはのことであって、どうでも大祭をその日につとめなければ通れないというような日がある。
今回のところは大祭延ばすが良かろう。
これは神様の働きによって成ってきたことである。
延ばしてはいけないという時には、延ばそうと言っても延ばすことができなくなってくるように、神が働く。
けれど、延期になろうと延期にならなかろうと、いやいやな心でするなら、その心通りに神が働くことになる。
今回のペストの世界事情は、ほんの取っ掛かりのようなもので、これから、どんなもっと大変な事態が起こってくるか分からない。
だから前々からそのことを、刻限のさしづにて諭している。
神が世界の掃除に掛かる為には、道具が要る。
だから今回のペストの世界事情は、まだちょっと始まりのようなものだ。
今のところは、警察が延期と言うてくるなら延期にするんだと、軽く心を治めてやってくれ。
だが、大祭に寄って来る者たちに、どう説明したら良いのか、ということが気にかかるであろう。
今さしづしたようなこと、本当にそうだなぁと思う、説明する側の心が寄って来る人の心に映ったなら、分かってもらえる。
心配は要らない。
けれど、寄って来る者たちは、答えを求めてくる。
寄って来る者たちに、寄って来るのを踏み止まってもらう為には、それだけのこちら側の心の働きが無ければならない。
踏み止めるのは、説明する側も、寄って来る側も、皆の精神一つの働きによるものだ。
今一時の所は、警察が延期と言うのだから延期なんだと世間からの働きがあるので、それをそのまま言うのでも構わない。
皆、延期するかしないかとか、どう説明しようというのは皆の心に任せておくから、大祭のことは、神としては延期にしようが、短縮しようが構わない。
例え延期にしたとしても、それを談じ合って決めた皆の心に、真実の心があるなら、その真実の心を神が受けとる。
真実だと思ってつとめた所で、つとめる皆の心があちらへ向きこちらへ向きと、バラバラで揃わないようではどうもならん。
まぁ、延期にしようと言うなら、延期にしておくが良かろう。

部下教会への通知
まぁ、談じ合いの結果、延期にしようと言って決まって延期にするのであれば、それは道理に適う。
けれど、中には何で延期にするんだと言ってくるものもあるだろう。
後々になったら、延期にして良かったんだということが鮮やかに分かる。
延期にするなんてダメだ!と言ってきたなら、いや、ダメなんだ!とこちらも強く言うのも大事なことだ。
お願いです延期にしないでくださいという頼み言葉の態度で来るなら、こちらもいやそこを何とかお願いしますと、同じような態度で聞いてやったら良い。

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