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自意識のゆりかご

「キャッチャー・イン・ザ・ライ」または「ライ麦畑でつかまえて」は私の気に入りの作品だ。当店では2回も読書会をした。世間的には中二病の代名詞のように扱われ、ジョンレノンを撃った犯人も、レーガンを撃った犯人も同様にキャッチャーを持っていたという不名誉な伝説までつきまとう良くも悪くも影響力の高い作品である。

主人公のホールデン少年は、まるでくまのプーさんのように、いつ本を開いても、どのページを開いてもホールデン少年のまま。変わらない、成長しないままいてくれる。普通、少年を主人公として冒険させる作品は、主人公が成長して終わる。しかし、ホールデンくんは、変わらない。彼にとって変化はインチキと背中合わせだから。

インチキのない本当だけの物語。これが必要なのは誰だろうか?まだ穢れのない十代の少年少女だろうか?私はそうは思わない。きっと成長著しい彼らのほとんどにとって、大人になることへの強い拒絶を表したホールデンくんは、面倒臭くて、ガキっぽい、くだらないやつに映るだろう。それでいいのだ。おかしいことじゃない。

大人が読んだって面倒なやつだ。自意識過剰で、他者へ過干渉、独善的で神経質。しかし、彼は、遠い存在ではない。きっと毎日大人の私たちは、自分の中の彼とよく似た自分をみつめ、なだめ、心密かに頷く。

ああ、ホールデンの感じる通りだ。世の中は見当違いなものに拍手する。

世の中はホールデンの思うほどインチキなんかじゃないよなんて、偉そうに言えない。インチキを今朝から、一体いくつ受け流して今ここで午後のコーヒーを飲んでると思う?ねえ、ホールデン。ただ、私たちが知っているのは、インチキは優しいことがある。それくらい。インチキがないなんて、言えない。全然。

年齢を重ねれば重ねるほど、ホールデンが愛おしく感じる。たぶん、夜中の電話には辟易するだろうと思うけれど。無茶ばっかりやって、トラブルばかり起こすことに説教の一つもしたくなるだろうけど。

でも、もし叶うことなら、ちょっとだけ夜中の電話に付き合ってあげられる人間になれたらいいと思う。打ちひしがれた彼のために、温かいココアでも差し出してあげられる人間でいられたらと願う。

私たちは変わっていく。守るべきものが増え、立派だと人から勘違いされ。気がつけば、うまく隠しておいた自意識は手に負えなく肥大化してしまう。

その前に、自意識をなだめる揺りかごが必要だ。明るい陽だまりで揺れる揺りかご。それがキャッチャー・イン・ザ・ライ。ホールデンの物語なのだと思う。

彼が、透き通った目でこちらに問いかける時に、嘘やごまかしのない返事のできる人間でいたい。彼の話をなんのジャッジもしないで聴いていられる自分でいたい。読み返すたびに、強くそう思う。


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