アメーバ中年 〜大山の巻〜

中年は均質化する。傍から見ると無個性で無気力に過ごしているのが大半のように見える。何十年も同じ電車に乗り同じような感情の起伏を繰り返し、その個性は川の底に沈む石のようにならされ、丸くなってゆく。いかに個性を主張する中年がいようとも、それは断末魔のように痛々しい。しかしそんな中年もよく見ると愛すべき部分も多々あり、優しい気持ちになれる部分もある。そんな人生を垣間見ることができたらと思う。

今年40になる大山は名前とは裏腹に繊細な男だ。職場の雑音が気になり、神経質にキーボードを叩く。頭は切れて、業務全体を理解しているのは彼だけなのでリーダーという立ち位置を不本意ながらも任されているが、責任感は強いので役割はこなしている。外観は痩せ型でひょろっとしており、無造作に伸びた髪には白髪が混じる。好きなUKロックの影響からか、カッターシャツにスラックスという出立ちにいつも細身のジャージの様な上着を羽織っている。傍目にはいつもイライラしている様に見えるので彼の周りはいつも静かだ。

そんな感じでやや神経質な印象のある大山だが、実は本人、そんなにイライラもしていない。言葉には棘があることも多々あるが物腰は柔らかい。謙虚な物言いが逆に嫌味のように捉えられなくもないが、おそらく彼はそのような気持ちはなく、純粋にそう思っているのだろうと思う。歩き姿や佇まいはむしろ少年のようにも感じる。日々の舌打ちとキーボードを叩く音がフロアを静かにしているだけなのだ。ランチはいつもカロリーメイトと甘いコーヒー。5分で済ませ、またキーボードを打つ。定時になると音もなく職場を後にする。

大山は休みの土日はほぼ部屋から出ない。昼から酒を飲み好きな映画や音楽を楽しむ。ハタチの頃と何も変わってない。好きな音楽はヘヴィメタルとUKロック。大陸的なアメリカのロックよりもイギリスのものを好む。特にマンチェスターの雰囲気を感じる物が良い。好きな映画はプレデター。バックトゥザ・フューチャーやエイリアンはミーハーだという。

気楽に過ごしてはいるが、結婚願望がないわけではない。ただやはり、どこか人に気を許せない、人に馴れない。だが、2DKの部屋でひとり、突然意識を失ったら誰からも気づかれず死んでゆくのだろう、そんな事を時折思ったりする。飛び降り自殺したらいつ気づいてもらえるのか、そうなると明日賞味期限のパイナップルはどうなるのか、自分が発見されるまでの間無駄にかかった電気代は親が負担することになるのか、とかありもしないどうでもいい事を考える日もある。

日頃休みは映画や音楽を部屋で楽しむのが日課だが、珍しく外出を行った。実は大山、この街には仕事で5年前から住んでいるが、全く縁もゆかりもない土地で、元々住んでた土地より栄えていないという事もあり、食料品や日用品の調達以外で外を出歩く必要性、面白みを感じない。しかし先日同僚(というほど日頃親しくしているわけではないが)の村上とこの辺の郊外の観光スポットの話になったことが発端だ。

特に観光に興味がある訳でもない。ただ、少し休日に変化を加えたい。いつも同じ平日、休日を過ごしていることにうんざりしているだけだ。

駅までバスに乗り、電車に乗り継いで県境の都市へ。いわゆるアウトレットモール。欲しいものなど何もない。なんとなく、来てしまった。アウトレットモールは開店前、それでも何人かは駐車場には入れないことなどを警戒して早めに来て入り口で待っている。世の中の何割かは待つことが耐えがたい苦痛である人がいる。
(人のことは笑えないな)
そうつぶやきながら大山はバス停から入場門へ向かった。

とはいえ、何も欲しいものは無い。ぶらぶらと歩きながら、なぜこんなに買い物をしたがる人がいるのか、そんなに家に着るものが無いのか、鍋がないのか、などを通りすがる人を見ながら思う。ひと通り一周した後、近くのベンチに腰掛けた。禁煙。

いまだにマスクをしている、馬鹿なんだろうか。そんな事を思いながらベンチに座ってた。いつの間にか老人が隣にいた。

「よくみんな欲しいものがありますよね」

と老人は話しかけてきた。そうですね、と軽く返して行き交う買い物客を眺めた。みんな大きな紙袋を持ち歩いてる。ここにはエコバッグを持ち歩く客なんてのは一人もいない。

「みんなは何に取り憑かれているんでしょうねぇ」

と老人。返事もせずに考えていた。なんだろうか、自己顕示欲?そんな大したものじゃないだろ、単に自己満足、ストレス発散のつもりなだけか、人はそういう時、ひとつの手段として金を払いモノを増やす。世間の、というのも狭い、もうリアルな世間は皆無だろう。SNSの映えを意識した消費。買ったモノを自分の記録のフリをしながら見せびらかす自己満足。コストのかかる生活だ。

そんな事を考えながら背筋を、伸ばした。老人、

「まぁ、でもねぇ、何に満足するかってのは人それぞれですよねぇ、私達だって行き交う人達をこうやって見ながら満足してるわけで」

「ただ、何でもいいんですよね、その人の人生がそれで潤えば。人から見て愚かしいことのようでも、それでまた明日からがんばろうと思えるなら。」

大山はそうですねと軽く頭を縦にゆっくり、大きく動かした。

「ちなみに、なにかありますか?参考までに。」

おっと、こちらに話を振られた。

「大したものは無いですね、毎日家で酒飲みながら過ごしてます」

と誤魔化しながら答えた。音楽や映画の話はしなかった。深掘りされたら煩わしいと思ったからだ。老人は無言で頷く。

「そんなものですよ」

そんなものか、生産性の無い毎日。今日だって無目的に買う宛も無くショッピングセンターに来ている。ただ通り行く人を眺めて時間を過ごしている。そんなものだ。何を目的として生きているのか、年老いた時、働けなくなった時、その事ばかりの為に今の時間を費やす。つまり先の時間の為に今の時間を浪費している、おそらくこれはこの先ずっと続く、年老いてもずっと未来の事を考えて今を生きないのだろう。

それから特に欲しくもないポロシャツを一枚買ってアウトレットモールを出た。郊外にあるアウトレットモールは車で来る事が想定されている。車を持たない都市圏生活者、免許を持たない学生、が列を成す。みな、思い思いの紙袋を提げている。バスはそれなりに混み合ったが、後ろの窓側の席に座る事が出来た。片道30分はかかるので、立っておくのは辛い。

帰りのバスの中、眠気と共に不思議な感覚がしてきた。もやもやとした清涼感。妙に気持ちが良い。明日は良い日になりそうな気がする。ふと、大山は老人の言葉を思い出した。

「そんなものですよ」

若い時はたくさんの時間があり、好きな事ばかりが出来て、みな個性溢れていたように思う。それが年月が経ち、均質化し、かつての1年は今の5年くらいかかってようやく追いつく。何にでもなれそうな気がしていて光が見えていた道は段々と閉じられてゆき、これしか出来ないように思えてくる。しかし「これ」は長い年月で研ぎ澄まされて大きなの価値を持つようになっている。その価値に見合うものはそうそう見つからない。そんな自分にとっては取るに足らない「これ」を生活の糧にして暮らしている。つまらないが不自由の無い毎日、一定の不自由の中の自由を生きる毎日。そんな中年になっていく、それも悪くない。そんなことに気づいた、40代の入り口。

これから自分はどこに向かうのだろう。不安はある。しかしそれは未来を想像できないという不安であり、見方を変えると未来なぞ誰にも読めない。ただ先が読めないという理由だけで現状維持の仕事を保つことが幸せだと思い込んでいる。そのために多くの人が閉じかけのドアを閉じてゆく。会社のため、組織のため、生活を犠牲にしながら過ごして何が楽しいのか。そこにある現状維持の仕事という幸せは本当に自分が望んだものなのか、常に疑問符を背中に背負っている。

このように中年は二つの相反するものを持っている。一つは生活の糧となる能力。無意識的にベテランとして即戦力=稼ぐことができるスキル。もう一つは未来に対する諦め。生活には困らないのに未来には困るというなんとも不思議な生き物である。そしてまたモヤモヤと人は歳を取るごとに同じ様になりアメーバの様に増殖している。誰しもが今の自分を中断しようと思いながらズルズルと日々を過ごしていくのだろう。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?