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郵便受けを覗いた尾身玉枝は、1通の手紙が入っていることに気が付いた。薄紫色の封筒に、見たことのない切手が貼ってある。差出人を見ると、こう書かれていた。

『異窓会事務局』

いそうかい…? 同窓会ではないのか。怪しいので封を開けずに捨てようかとも思ったが、同窓会、というその連想にひっかかるものがあり、捨てずにテーブルの上に置いた。

翌朝、玉枝はもう一度その封筒をしげしげと見た。やはり「異窓会事務局」と書かれている。彼女は、コップに入れた水を飲み、一息ついた。昨晩は少し飲み過ぎたので、何かの見間違いではないかと思っていたが、そうではなかった。

玉枝は40歳。世間では「不惑」と呼ばれている年齢だが、惑うことの多い毎日を送っていた。仕事は一応安定しているが、その仕事が自分に向いているものかは実感を持てずにいた。恋愛も結婚も、そういう話が今までないではなかったが、何となく決めきれずにいるうちに、四十路に突入してしまっていた。

同窓会にひっかかるものがある、というのは、先日「同窓会のお知らせ」の葉書に、不参加に〇をつけて送り返したばかりだからだ。特に含むところはないが、何となく行きたくなかったのである。「子どもが学校で大変なのよ…」という、同級生の子育て話など聞きたくなかった。もちろんまだ独身の同級生もいるだろうが、ふわふわした今の自分を見られたくなかった。要するに、気が進まなかったのである。投函した直後は、やっぱり行けばよかったかな、とちらりと思ったが、出し直す気にはなれなかった。

異窓会。ということは、同窓、つまり同じ学校出身じゃない、ということかな? 異業種交流会みたいなものだろうか? しかしその、どことなく風情のある封筒には、ビジネスの香りがしなかった。婚活やマッチングのアプリの勧誘かと思ったが、このご時世に、わざわざ郵送代を使ってアナログで勧めてくるのも考えにくかった。

玉枝は、封を切り、中の手紙を見た。…

1か月後、彼女はとあるレストランの入り口に立っていた。我ながらおかしかった。あんな怪しい手紙に引っかかって、わざわざ来るなんてね。

異窓会のお知らせ。手紙にはそう書かれていた。レストランの住所が書かれていた。参加費は取る。しかし安かった。もしこれが「無料」と書かれていたら、彼女は来なかっただろう。お手軽に夕食を食べにきたと思えばいい。彼女はそう自分に言い聞かせていた。人恋しいわけではない、と思う。ただ、同窓会のような、ねとつくような過去のしがらみの中で愛想笑いを浮かべながら話を合わせるよりは、何のしがらみのない人と話してみるほうが、百倍も面白いのではないか、とも思った。

正面の入り口を開けると、意外にも大きな階段があった。地下につながっている。話し声が聞こえるところをみると、すでに参加者がいるのだろうか。彼女は少し躊躇したが、意を決して降りていった。

「ご参加の方でいらっしゃいますか」

階段を降りきったとき、よく通る声が聞こえた。前を見ると、受付らしきテーブルがあり、そこでは年齢不詳の女性がにこやかな笑顔を浮かべて立っている。彼女の横には、大きな扉がある。

「はい、あの、おみたまえ、と申します」

「お待ちしておりました。異窓会へのご参加ですね」

女性はてきぱきと名簿を確認し、うなずくと、玉枝から会費を受け取った。

「ありがとうございます。では、こちらをおつけになって、中へお進みください」

女性は、イヤホンと小さなマイクのついた機械を差し出してきた。なんだろう、これ。

「…あの、異窓会って、どんな人が参加されるんですか?」

「文字通り、全くあなたと面識のない方、会ったことのない方が参加されます。何をお話しになっても大丈夫ですよ。異窓会は、限定2時間。これまでも、そしてこれからも、あなたと会うことのない方の集まり。この場限りのトークを、どうぞお楽しみください」

女性に背中を押されるように、玉枝は扉の中へと進んだ…。

…2時間後、会が終わった。

彼女は階段を上って、そこが見慣れた街だということに気が付いた。それほど、異窓会はこの世のものとは思えなかった。

そこには、ありとあらゆる国の人が、立食パーティー形式で楽しそうに話していた。まさか、国際的なものとは思わなかった。外国語に自身のない玉枝は、後ずさった。その時、つけたイヤホンから声が聞こえた。

「大丈夫です。すべてこの機械が、自動翻訳をしてくれます。色々な方とお話しください。あなたの世界が広がりますように…」

受付の女性の声であった。玉枝はここまで来たのだからと、思い切って参加者の輪の中に入っていった。

参加者に共通するのは年齢、つまり40歳だということだけだった。あとは国籍も立場も境遇も違う。

アイスランドの火山の話。パリの凱旋門の近くでカフェを営む女性の話。アンデス山脈の近くでリャマを飼っている男性の話。…どれもが、新鮮だった。ネットの情報ではない、生身の人間からの生の話だった。気が付くと、自分も語っていた。たいして面白くもない自分の人生について、みんなが面白そうに聞いてくれた。楽しかった。

彼女はすっかり暗くなった街を、自宅に帰っていく。

その背中は、来る時よりもすこし、伸びていた。

(完)

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