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「ゼークトの組織論」をご存知でしょうか?

◆有能な怠け者(利口・怠慢)
◆有能な働き者(利口・勤勉)
◆無能な怠け者(愚鈍・怠慢)
◆無能な働き者(愚鈍・勤勉)

この4種類に人をタイプ分けして、
組織にとってはどのタイプが
どういう立ち位置にいれば良いか?
について論じたと言われる組織論です。

「…そりゃあ『有能な働き者』が
一番良くて、『無能な怠け者』が
一番悪い、に決まってますよ!」

…そう思いましたか?

しかし、ゼークトは「そうじゃない」と言う。

◆有能な怠け者は、指揮官が良い。
◆有能な働き者は、参謀が良い。
◆無能な怠け者は、兵卒が良い。
◆無能な働き者が、最も組織に害を及ぼす。

曰く、有能な怠け者は、
自分が怠け者であるがゆえに
楽をしたがるので、リーダーになれば
他人に役割を振って組織を動かしていける。

有能な働き者は、自分が有能であるがゆえに
他人に任せることができない。だから
リーダーのサポートをしたほうがいい。

無能な怠け者は、自分からは動けないが、
指示されたことはやるタイプなので
職務さえきちんと与えれば動いてくれる。

しかし、無能な働き者は
自分で勝手に判断し、余計なことをして、
組織に損害を与えてしまう…。
本人には自覚が無い。良かれと思っている。

「ゼークトって人は皮肉屋で、シビアで、
ドライに物事を見る人なんですねえ。
でも、一理あるかも!」

…そう思いましたか?

ただ、この「ゼークトの組織論」、
実は「ゼークトさんは言っていない」。

クルト・フォン・
ハンマーシュタイン・エクヴォルト。
この人が副官に対して言った言葉だそうです。
「ゼークトの組織論」ではなく、
「クルトの組織論」なんですよ。実は。

では、なぜ『ゼークトの組織論』と
言われることになったのか?
本記事で推理してみましょう。

まず、基本事項の確認です。
この二人の略歴を紹介します。

クルト・フォン・
ハンマーシュタイン・エクヴォルト。
1878年~1943年。ドイツの陸軍軍人。

近代ドイツの簡単な歴史を書き出しますと…。

◆1871年~:ドイツ帝国成立
◆1914年~:第一次世界大戦
◆1919年~:ヴァイマル共和国成立
◆1933年~:ナチスが政権を獲得
◆1939年~:第二次世界大戦
◆1945年~:二次戦が終わる(東西ドイツ分裂)

ドイツ帝国時代に生まれ、
ヴァイマル共和国で主に活躍して、
世界大戦が終わる前に亡くなった。

反ナチスの活動家としても知られています。
親友であったシュライヒャーが
ナチスの親衛隊員に殺害された時、
陸軍の高官としてただ一人
葬儀に立ち会った人です。

第二次世界大戦が始まると、
退役していた彼は現役復帰して
前線に配備されましたが、
視察に来るヒトラーを拘束する計画を
立てていた、とも言われています。

この人が、1932年または1933年に
「将校の4分類」として語ったことが
現代日本では『ゼークトの組織論』に
なってしまっている…。

『私は部下を4つのタイプに分ける。
利口な将校、勤勉な将校、
馬鹿な将校、怠け者の将校、にね。

まず、利口で勤勉なやつ。
これは参謀本部に必要だ。

次は、馬鹿で怠け者
こいつがどんな軍隊にも9割いて、
決まりきった仕事に向いている。

一方で利口な怠け者は、
リーダーとして仕事をする資格がある。
難しい決定をする時に、
クリアな精神と強い神経を持っている。

用心すべきなのは、馬鹿で勤勉なやつさ。
彼らに責任のある仕事を任せてはならない。
どう転んでも災いしか引き起こさないから』

…これ、まさに
「ゼークトの組織論」ですよね!

では、ゼークトさんの略歴を見ましょうか。

ヨハネス・フリードリヒ・
レオポルト・フォン・ゼークト。
1866年~1936年。ドイツの陸軍軍人。
クルトさんより12歳年上の先輩。

ドイツ帝国時代には陸軍参謀総長
ヴァイマル共和国時代には陸軍兵務局長
そして陸軍統帥部長官
ヴァイマル共和国軍の実力者であり、
1930年には国会議員にもなった。

第一次世界大戦後の
1919年の「パリ講和会議」にも
ドイツの陸軍代表として出席しています。
一次戦後のドイツでは
ヴェルサイユ条約によって軍縮が行われて
参謀本部も禁止されました。
しかし「兵務局」と名を変えて存続、
ゼークトはその局長に就任している…。

1926年、ヴィルヘルム二世の孫を
独断で歩兵の演習に招待したことから、
時の政府に非難され辞職、退役。
ただ、後には国会議員になり、
大統領選挙の候補として考えられたほど、
隠然たる勢力を保っていました。

…彼に目を付けたのが、中国です。

時の中華民国の実力者は蒋介石。
ゼークトは蒋介石に招待され、
国民政府軍の再編を任されるほど
重用された
のです。1934年のこと。
ですがほどなく体調を崩し、辞表を提出。
ドイツに帰国後、1936年に死去…。

「クルトさんは1878年~1943年。
ゼークトさんは1866年~1936年。
時代はかぶっているけれども
ゼークトさんのほうが年上。
同じドイツ陸軍の軍人だけれど、
ゼークトさんのほうが有名人。
そういうことでしょうか?」

ええ、そういうことです。

ここからは、推論になります。
なぜ、クルトが言ったことが
ゼークトが言ったことになってしまったのか?

日本においては、戦争漫画家の作品の中で
「ゼークトの組織論」として紹介されたために
誤解が広がった…という説があります。

ただ、そもそもなぜ、それが
「ゼークトの言葉」になったのでしょうか?

…私が思うに、ごく単純に、
ゼークトのほうが「有名人」だったから、
だと思うんです。特に、東アジアで。

人間は「誰が言ったのか」に
左右されやすいもの
です。

無名のいなおが言ったことより、
有名な大谷翔平選手やイチロー選手が
言ったことだ
、と伝えるほうが
名言っぽく聞こえる。

◆「ナポレオンがこう言った」
◆「マザー・テレサがこう言った」
◆「孔子がこう言った」


そう言われれば、心のコップが上を向く。
そうだな、と納得しやすいのでは?

私はこのような大衆心理の中で、
「実はクルトの組織論」が
「ゼークトの組織論」にすり替わっていった
のではないか…
と思っているのです。

最後にまとめます。

本記事では「ゼークトの組織論」
(と言われるもの)について書きました。

さて、読者の皆様はどう思いますか?

皆様自身は自分のことを
どのタイプだと思っていますか?
なぜ「ゼークトの組織論」に
なったのだと思いますか?

…そもそもあなたにとって、有能や無能、
働き者や怠け者の定義とは、何ですか?

※「ゼークトの組織論」の
説明については、
こちらの記事を参考にしました↓

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