浅沼優子氏の再返答と公開質問について②(モチダより)

 ①の続きです。



 次に、反論②について。

 まず、「知性」といういい方はよくなかったですね。ごめんなさい!今後、「知識」に変えます。今すぐ直すのは証拠隠滅みたいなので、1月ほどしたら前述した投稿を修正します。ご指摘ありがとうございます。これ、やってはいけないミスですね。すごく反省しています。

 ※注記ですが、現在は一カ所だけ書き間違いを修正しています。

 ですが、基本の論点は変わりません。まず、質問に答えましょう。私が「到底無理なことが明らかな「宿題」を課すことによって、私からの批判を封じている」、「無知を許容し、「開かれた言論」を主張しながら、私個人(だけ)に対してはご自分と同レベルの「読書量」(しかもご自分の専門分野の)を強要している」、「ご自分は私に「宿題」を課せる立場にあり、私は従うべき立場にあると思い込んでいる」。その通りです。

 

これ、何故だと思いますか?

 答えは、浅沼優子氏が、「ALM」に関わる問題では、「無知は罪である」とおっしゃったからです。私は「無知は罪である」という立場のひとには、「無知は罪である」ようにふるまうことを要求します。「ALM」に関わる問題というのは、すなわち「人種」対立の差別というシリアスな問題全般です。そして、「BLM」運動は世界に広がっているんです(よね?)。そうであれば、東南アジア島嶼部の「人種」差別問題も当然、「無知は罪である」こととなります。

 私はひとにやさしくしたいですが、もし浅沼優子氏が「「ALM」や「人種」差別問題に関する無知は罪である」と主張するのであれば、浅沼優子氏だけには特別にその水準を要求し、専門家であるかのように扱います。世界各地のあらゆる「人種」対立について、専門家以上に学び、全ての問題にレビュー付きの学術論文を書いてください。

 私は、浅沼優子氏を何も知らないといってはいません。知らないこともあるというだけです。一人の人間が、あらゆる「人種」差別問題に詳しくなるのは不可能です。私も知らないことの方が多いです(アメリカ国内問題くらいは知っていますが、たとえばヨーロッパ域内は多言語すぎて追えません)。私も、浅沼優子氏も、少しを知り、多くを知らない人間です(恐らくは)。それは罪ではありません。知ったうえで、差別に加担することが罪なのです。「人種」のカッコのように。

 また、前にも書きましたが、実際に差別を受けている人が「ALM」という差別的なスローガンに騙されてしまう可能性も大いにあります。それを罪であるとすると、被差別者の必死の訴えを無視することになりますよ。

 言い換えますと、浅沼優子氏が「「ALM」に関わる問題では、無知は罪ではないが、できれば知っておくべきである」とお考えなのであれば、私は全面的に同意します。まさしくその通りだからです。ぜひ、このように言い換えてください。

 そうでない限り、浅沼優子氏は世界中でただ一人、「「人種」差別問題全てを熟知しないと罪となる」人間とみなされますよ。そんなうんざりすることはやめませんか?「知識・理解が中途半端なまま伝え方を誤ればセンシティブな問題だけに有害な結果を招きかねないので、しっかり理解してそれを正確に伝える努力をして誤解をなくしていきましょう」と伝えるのであれば、まず自分からです(「人種」にカッコをつける、など)。

 あと、あまり言いたくないですが、「でっちあげ」はどうですかね。「でっちあげ」というのは、私が何かを捏造していたことを示しますし、学者としての能力と誇り、生活の糧を毀損するものです。私は訴えないですが、他の人にこういう言い方をすると、誹謗中傷にあたる可能性もありますよ。気をつけてくださいね。



 続いて、反論③について。まず、この持田の論調に関する批判については、論旨の一貫性がない箇所が多すぎますし、やや示威的です。まず、もう一度論旨を整理してください。

 第一の指摘について、「持田さん、これは研究者にあるまじき大問題の差別発言ですよ。」とのことですが、これはただの感想です。具体的な根拠はなにもなく、ただ攻撃しているだけの内容です。「しっかり理解してそれを正確に伝える努力をして誤解をなくしていきましょう」ね。

 また、被差別的な状況に置かれている人々が、差別者よりも知識を持たない事例は、往々にして存在します。これは差別的な言説ではありません。むしろ、アファーマティブ・アクションという政治制度の意義はそこに存在します。知識が足らないからこそ、積極的な差別是正措置として、特別な配慮を行う必要があるのです。たとえば移民・難民問題の古典であるウィル・キムリッカの『多文化時代の市民権——マイノリティの権利と自由主義』を読めば分かると思います。

 また、被差別者の教育制度・知識の不足を否定する「差別問題の本」を教えてください。それは学術書ですか?政治学ですか、それとも社会学ですか?

 なお、これがモチダが「知識」を「知性」と書くという致命的なミスによるものでしたら、モチダが全面的に悪いです。その場合、モチダは謝罪し、訂正したいと思います。何度でも謝ります。ごめんなさい!


 第二に、「アメリカの黒人問題は「国内問題」だとお考えですか?」とのことですが、私は「浅沼氏のいう「人種」問題」はアメリカの「国内問題」だといったのです。上で引用しているのに、あえて「浅沼氏のいう「人種」問題」を「アメリカの黒人問題」と誤読していますね。

 浅沼優子氏が、ここでグローバルな「人種」問題」を論じていると私は思えません。浅沼優子氏が議論したのは「BLM」と「ALM」の関係性の問題であり、それはアメリカ国内問題です。もしそうではないとするなら、浅沼優子氏はすぐに前の記事に、グローバルな「黒人」奴隷制度と移動・管理に関する国際法の形成に関する内容を書き足してください。



 第三に、リサーチ不足とのことですが、その記事が「あらゆる」差別是正運動へと展開していないという反証にはなりません。「一部の」差別是正運動へと展開している、というのであれば、その通りです。そして、たとえ一部の差別是正運動にせよ、「BLM」の功績は偉大なものであるといっていいと思います。当事者が声を出すことは、それだけの価値があると、モチダは確信しています。

 第四は既に上で論じたので、省略します。



 最後に反論④について。

 これは何も付け加える必要がありません。私は、投稿の最後に、対案として「もしそれが難しいようでしたら、浅沼氏の視点から見て「無知」な人たちに、もう少しだけ、寛容な態度で接するべきではないかな、と思います。」と明記しています。私が浅沼優子氏に実際に求めているのは、200冊の読書ではなく、「無知は罪である」ということを否定する寛容さと、現実の「人種」暴力を正当化させない気配りです。



 以上、可能な限り詳しく記述しました。また、失礼かつ不愉快な発言があれば、謝罪いたします。

 また、浅沼優子さん(あえて、さん、と呼ばせてください。馴れ馴れしくて、すみません)「BLM」を広く日本に伝えるというご功績は、何より重要なものです。ただし、そこには寛容さと気配りが必要となるとも思います。より「ひとにやさしく」、「BLM」を訴えていってください。一人のアメリカ音楽のマニアとしても、応援しています。また、小沢健二氏のご功績も十分に承知しておりますし、その志に共感します。

 両名とも、今後、より一層のご活躍を祈念いたします。



 







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