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「名言との対話」 8月12日。西條八十「人を動かすことに詩の価値がある」

西條 八十(さいじょう やそ、新字体:西条、1892年〈明治25年〉1月15日 - 1970年〈昭和45年〉8月12日)は、日本の詩人、作詞家、仏文学者。

一生を通じての恩師・吉江喬松に引き立てによって、1931年早稲田大学文学部仏文科教授となる。教授と作詞家、ジキル博士とハイドのような二重生活が始まった。童謡であれ何であれ、詩人、創作家としてあくまでやり抜くか、それとも大学教授として一路邁進していくか、そのいずれかを選ばねばならぬ。その選択に苦慮している。また、仏文科で教えることになって苦戦したが、後にものを覚える第一の道は、「一足飛びにまずそれを教える責任を背負うことである」との教訓を語っている。

訳詩では、優れた作品を書いている。優れた訳詩には、卓抜した外国語能力と詩的才能と言う2つの能力が必要だが、八十はその両方を身に着けていた。そして童謡の分野では三木露風に師事している。童謡作家の素質として最も尊いイマジネーションの飛躍。金子みすずにはそれがあると励ました。

西條八十の作詞した歌謡曲を調べて、その多彩さに驚いしてしまった。以下、世代が2世代違う私でも口ずさめる曲をあげてみたい。
「かなりや」。唄を忘れたかなりやは うしろの山にすてましょか、、、。 「東京行進曲」。昔恋しい銀座の柳 仇な年増を誰が知ろ、、、。蓄音機が20万台の時代に25万枚という大ヒット。作詞家の報酬は30円、作曲の晋平は5000円、歌手は2500円。流行歌は「浮草の花」で、民謡は「苗木を植えつけるようなもので、後年花咲き実みのる大樹」だという。その頂点が「東京音頭」だ。「東京音頭」。ハア踊り踊るなら チョイト東京音頭 ヨイーヨイ 花の都の 花の都の真ん中で サテ、、、・合併で人口550万人の大東京になった記念の歌だ。「誰か故郷を想はざる」。花摘む野辺に日は落ちて みんなで肩を くみながら、、。「愛染かつら」の主題曲である「旅の夜風」。花も嵐も踏み越えて行くが男の生きる道泣いてくれるな ホロホロ鳥よ 月の比叡を独り行く。「蘇州夜曲」。君がみ胸に 抱かれて聞くは 夢の船唄 鳥の歌、、、。「同期の桜」。貴様と俺とは 同期の桜 おなじ兵学校の 庭に咲く、、、。「青い山脈」。若く明るい 歌声に 雪崩は消える 花も咲く、、。「トンコ節」。言へばよかった ひと言が なぜに言へない 打明けられない、、。「ゲイシャ・ワルツ」。あなたのリードで 島田もゆれる チークダンスの なやましさ、、。「花咲く乙女たち」。カトレアのようい 派手なひと 鈴蘭のように 愛らく、、、。「絶唱」。愛おしい 山鳩は 山こえて どこの空、、。「侍ニッポン」。人を斬るのが侍ならば 恋の未練が なず斬れぬ、、。「アリラン」。アリラン アリラン アリラリヨ、、。、、、
筒井清忠『西條八十』(中公叢書)という西條八十の評伝の最高峰を読んだ。人生の無常感と生命の燃焼感がセットになっているのが日本歌謡の伝統である。そして抒情性の問題と知識人の問題の交錯するところに八十の存在があった。フラン文学の研究者として大学の教壇に立つ、一方で日本の大衆の抒情性をすくいあげた。以上がこの本の結論だ。
この本の中に収めている写真が興味深い。交友範囲の広さ、豪華さをみると西條八十の人生航路をともに歩んでいる気になる。以下、人名のみ。
直木三十五。中山晋平。野口雨情。北原白秋。竹久夢二。藤原あき。藤浦こう。、野口米次郎。佐藤春夫。堀口大學。藤田嗣治。柳沢健。山田耕作。山口淑子。古関裕而。高村光太郎。舟橋聖一。服部良一、藤山一郎、神楽坂はん子。サトウ・ハチロー。佐伯孝夫。島倉千代子。村田英雄。コロムビア・ローズ。舟木一夫。市川昭介。大佛次郎。
1950年、日本詩人倶楽部初代理事長。1953年、日本音楽著作権協会会長。1967年、フランス文学研究者としての集大成として『アンチュール・ランボー研究』を刊行している。『西條八十全集』全17巻(国書刊行会)、1991年-2007年。『西條八十自伝 唄の自叙伝』日本図書センターで再刊〈人間の記録29〉、1997年。『女妖記』中公文庫で再刊、2008年。 自伝的小説集。

西條八十は高踏的な詩集の作者であるという知識人としての存在、大衆を対象とした童謡や流行歌の作者であるという存在でもあった。その仕事の広大さと大衆への浸透力の深さは誰も凌駕することはできないだろう。「人を動かすことに詩の価値がある」との言葉どおり、西條八十の詩によって動かされた大衆の数の多さははかり知れない。歌の影響力のすさまじさに改めて感じ入った。

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