「名言との対話」1月15日。李登輝「民の欲するところ常にわが心に」

李 登輝(り とうき、1923年〈大正12年〉1月15日 - 2020年7月30日,注音: ㄌㄧˇ ㄉㄥ ㄏㄨㄟ/拼音: Lǐ Dēng huī)は、台湾(中華民国)の政治家、農業経済学者。

旧制台北高校から京都帝大にすすむ。在学中に学徒出陣、台湾大学卒。米国アイオワ大学で修士、コーネル大学で農業経済学博士。1972年行政院政務委員(国務大臣)、1978年台北市長、1981年台湾省政府主席。1984年副総統、そして65歳で1998年に総統に就任する。本省人(台湾人)初の国家元首である総統である。

李登輝については、今まで伊藤潔「台湾--四百年の歴史と展望」(中公新書)。加瀬英明「日本と台湾--なぜ両国は運命共同体なのか」(祥伝社新書)。江南「蒋経国伝」などを読んでいる。以下、それらをまとめて生涯を追ってみる。

国父孫文の後を継いだ蒋介石の息子である蒋経国は台湾の台湾化を目指した。その路線を引き継いだ李登輝は温厚で敵をつくらない性格であり、後継者として都合がよいという判断だった。この判断が難しい舵取りを要求される激動の国際政治情勢の中で、台湾がまとまって生き残っていく方向を決定づけた。

李登輝の民主化改革は、「党が国家の上位であってはならない「軍は国家の軍でなければならない」「一党独裁であってはならない」「実務外交を推進すべきである」「中国政府・中共政権と対立してはならない」「政治犯の存在は民主国家の恥辱である」であった。

1992年の初めての総選挙で初めて国民党は台湾統治の正当性を得た。李登輝は台湾人の絶大な支持と期待を支えに権力を掌握していく。2000年までの二期12年の任期中に台湾経済は大いに発展を続けた。

雑誌で李登輝のインタビューを読んだことがある。台湾は東日本大震災で168億円もの義捐金を送ってきた。人口2300万人、当時の物価は日本の三分の一というから、この価値は2500億円に相当する。台湾の高い親日度は高い。

京大卒で日本陸軍少尉でもあった李登輝は、日本人の素晴らしさは日本人よりよく知っているとした上で、日本の総理、大臣、大企業幹部、など指導者の劣化を嘆いている。そこに日本精神の喪失を見ている。台湾で今なお尊敬されている後藤新平、八田与一など素晴らしい日本人の名前もあげている。そして誰もがやりたくないきつい仕事をする、公と私を区別する、国家と国民に忠誠心を持ち謙虚であること、など指導者の条件をあげている。この雑誌を読みながら「合併も 事故も技術も 巨大化す 人物だけは 小型化進む」との句が自然に浮かんできた。

「李登輝の名言bot」がある。「日本人はあまりに人がよすぎるから指導者を選ぶことをもっと真剣にやりなさい」「いつまでも権力を握ってはいけない。権力があるからいろんなデタラメなことをやりたがる」「誰もやりたくないことを喜んでやっていく」。

李登輝は日本統治時代は岩里政男という日本名を持っていた。そして「22歳まで自分は日本人であった」と言う。そして「日本がもう一度アジアのリーダーとして輝けるよう後藤新平のようなリーダーの出現を期待している」と日本人を激励している。私は「出処進退」という言葉に注目している。最近の状況をみると、この精神が失われているように思う。李登輝の名言「民の欲するところ常にわが心に」と考える「人物」をいかに育てるかに、今後の日本がかかっている。


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