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4月11日。 羽柴誠三秀吉「輝く 夕張 新時代」

羽柴 誠三 秀吉(はしば せいぞう ひでよし、1949年10月11日 - 2015年4月11日)は、日本の実業家、政治活動家である。

中学校を出てから裸一貫で運送業で財をなし、建設業や観光業に事業を広げ、一代で羽柴グループを築く。資産は200億円とも言われた実業家である。若い頃、近所の住職に「羽柴秀吉の生まれ変わり」と言われたことから羽柴秀吉を自称するようになった。

1976年の地元・青森県金木町(現五所川原市)町長選をはじめとして2011年の夕張市長選まで、立候補した選挙は計17回にも及ぶ。公約はその都度違うが、「輝く〇〇新時代」が共通のスローガンだった。鎧兜での演説などのパフォーマンスはメディアではよく見かけたものだ。

亡くなったときには、ニュースも流れている。2015年4月13日の産経新聞で「親しい住職に「戦国武将・豊臣秀吉の生まれ変わりだ」と言われて以降、羽柴秀吉を名乗るようになったと説明。所有するホテルが国会議事堂の形をしていたり、自宅が城の形をしていたりしたことでも話題になった」と紹介されている。

この人を有名にしたのは、選挙への出馬だった。国政選挙は、2000年から2007年まで衆参合わせて4回。都道府県知事選挙では、東京都知事選、大阪府府知事選、長野県知事選の1999年から3回。大阪府知事選では「青森の大バカで終わるか天下を取るか 決戦大阪城攻略」というネオン看板を掲げた。区市町村長選では、1976年の金木町長選、五所川原市長選、田子町長線、夕張市長選など7回。2007年には財政破綻した夕張市長選に出馬した。この時の公約は、大企業を夕張に誘致、閉鎖された市営温泉施設「ゆうばりユーパロの湯」に私財を投じて再開するというものだった。結果は僅差の342票差の次点だった。2019年には若い夕張市長が北海道知事に当選したが、羽柴秀吉が当選していたら、夕張はどうなっていただろうか。

「はてなキーワード」の「変人」の項では、都知事選や国政選挙で16回の選挙を戦ったドクター中松、13回だったマック赤坂と並んで紹介されている。 しかし息子は「選挙は遊び半分でやっていたわけではなく、本気で当選しようと情熱を注いでいました」と証言している。もっとも有名な泡まつ候補であったが、本人は本気だったようである。

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