見出し画像

6月10日。 塚本幸一「一刻一刻、一日一日、一年一年を大切にして、やらねばならないことを完遂することが、『生かされている者』の義務だ」

塚本 幸一(つかもと こういち、1920年9月17日 - 1998年6月10日)は日本の実業家。ワコール創業者。

宮城県生まれ。仙台市の片平尋常高等学校に入学。その後、近江八幡に移る。大宅壮一が「近江商人の士官学校」と評した八幡商業を卒業し家業の繊維の卸商を手伝う。インパール作戦に参加、九死に一生をえて復員し、1949年アクセサリーやブラジャーを扱う和江商事を創業。一代で「ワコール」を女性下着の国内トップメーカーに育てた。1974年に実質上社長業を長男・能交に譲って、会長兼社長となり、1977年から会長に専任。この間、50歳で京都経済同友会代表幹事。62歳、京都商工会議所会頭。66歳、関西経済連合会副会長、長男の能交が社長に就任。私はこの能交とは友人の渡辺幸広さんのグループで面識があり、京都の凝ったつくりの豪邸で桜の観賞の宴に招かれ、また京都祇園で能交さん主催で友人たちと一緒に遊んだことを思い出す。その時に、父・幸一の住んだ自宅でこの人の書斎などで偲んだ。

塚本幸一には二つの誕生日がある。二つ目は敗戦で戦地から帰還した1946年6月15日である。悪名高い地獄絵そのものであったインパール作戦に従事する。飢餓と豪雨、マラリア、赤痢など悪夢のインパール退却行で、55名の小隊のうち生き残ったのはわずか3名という悲惨さだった。未曾有の国難を糧として新しい日本を創造する。そのために神が命を残したとしか考えられない。25歳から二つ目の人生が始まる。

「生かされている」者としての使命感が、刹那的生き方ではなく、神のように純化した心を抱かせた。生まれ変わってから50年余、自らの持ち場で「一刻一刻、一日一日、一年一年」を大切に戦友の分を生き、新生日本の国造りに命を捧げ英霊を慰めた。それが戦争に参加した者の一つの責任の取り方だった。


この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
5
ひさつね けいいち。

こちらでもピックアップされています

久恒啓一の「名言との対話」(平成命日編2)
久恒啓一の「名言との対話」(平成命日編2)
  • 94本
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。