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「名言との対話」4月22日。リチャード・ニクソン「自分が大統領を狙わず、大統領職に自分を狙わせる。これこそ大統領になる最大のコツではないだろうか」

リチャード・ミルハウス・ニクソン(Richard Milhous Nixon, 1913年1月9日 - 1994年4月22日)は、アメリカ合衆国の政治家。第37代アメリカ合衆国大統領。ニクソン大統領は、ベトナム戦争からの完全撤退、冷戦下のソ連とのデタント(緊張緩和)、中国との国交樹立などに尽力した。

ニクソンの著書「指導者とは」 (文春学藝ライブラリー)は20世紀リーダー論の最高峰だ。この中に同時代の世界のリーダーたちが出てくる。政治家になって35年間でニクソンは世界80カ国を旅し、指導者たちと会っている。戦後の大指導者たちの中で会っていないのはスターリンくらいだった。多くの指導者を観察したニクソンは「人間が老けるのは、みずからが老けるのを許容する場合が多い」という。戦う英国を率いたチャーチルは66歳だった。ドゴールは67歳で第五共和制をつくった。アデナウアーは73歳で首相になった。そしてドゴールは78歳でも大統領であり、チャーチルは80歳でも首相、アデナウアーは87歳でも首相だった。

ポリティシャン(政治屋)が多く、ステイツマン(政治家)がいない。これがよく聞く慨嘆であるが、ニクソンは「ステイツマンになろうと志す者は、まずポリティシャンでなければならない」と言っている。政治屋が政治家になっていく。順序があるのだ。

指導者にとって、もっとも大切なのは時間である、とも言う。つまらぬことに時間を割くことはできない。自分でやることを決めることと部下を選ぶことが大切な仕事になる。また私情を殺し公益を優先しなければ成果はでない。超重要事項は自分でやり、重要事項は部下にやらせる我慢が必要になる。リーダーにとって時間こそ最大の資源なのだ。

ニクソンは「文章を書くのにテープに口述筆記をするのが一番だ。重要な演説の原稿をまとめるのが自己を鍛える。決断の検証と思考を磨くことになるからだ。」とも語っている。考えをまとめるときに、考えがまとまる。

1960年の大統領選では、選挙人の多い州を重点に回る選挙戦略をとったライバルのケネディに敗れたニクソンは、臥薪嘗胆の日々を送り、大統領職が自分をターゲットにするまでに自分を鍛えていった。1968年の大統領選で当選し第37代の大統領に当選する。ポストにふさわしい実力をつけることが、ポストにつくための戦略ということになるだろうか。

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以上は2017年1月9日に書いたものだ。以下を加筆する。

ニクソンは自伝的作品を数回、書いている。1960年のケネディに敗れた大統領選の後に書いた『六つの危機』。1979年の『ニクソン回顧録』。対外政策を論じた1980年の『リアル・ウオー』。1986年の『指導者とは』。1991年の『ニクソン わが生涯の戦い』。

今回、『ニクソン わが生涯の戦い』を読んだ。以下、語録。

政治は一つのわざ(術)であって、科学ではない。

ひとは、自分の人生のためだけでなく、より重要な何かのため生きなければならない。

演説。副大統領時代の8年間、演説原稿は自分で書いた。導入部と挿話と結びに集中。演説の価値は長さではなく深さによって測られる。

大統領の友人であると逆に不公正な処遇をせざるを得なくなる。

マスコミに攻撃されたら、反撃はしてはならない。

大統領の究極の武器は、マスコミの頭越しに国民に直接語りかけることだ。

資本主義は富を生み出す。結果の過酷さを規制するのは国民道徳観である。

若い時からのよき習慣が老年までキープ、継続されることが大事だ。創造的な能力に挑戦し続けなければならない。

『指導者とは 』(文春学藝ライブラリー)から。

ニクソンは、ウォーターゲート事件というスキャンダルで1974年に任期半ばで辞職したこともあり、高い評価はしていなかった。この本が書かれた直後に読んで、優れた人物であると再認識したことがある。 改めて世界のトップであるアメリカ大統領の視界の広さと仕事の重要さ、その中でライバルと接触しながら自国と世界の利益を追求する姿を垣間見ることができた。
イギリスのチャーチル首相、フランスのド・ゴール大統領、マッカーサー元帥と日本の吉田首相、西ドイツのアデナウアー首相、ソ連のフルシチョフ首相、中国の周恩来首相が、そして副大統領として仕えたアイゼンハワー大統領らが遡上にあがっている。ニクソン大統領のリーダー論は出色である。20世紀リーダー論の最高峰だ。

最終の章「指導者の資格」について」は、ドゴールの言葉で始まる。
「偉業は、偉人を得ずして成ることがない。そして、偉人たちは偉大たらんと決意する意志力により偉大になる」。願望ではなく決意、追随ではなく指導が、偉大さの出発点である。
ニクソンの観察によれば、偉大な指導者は偉大な読書家であった。また全員が猛烈な働き手であった。特に、チャーチル、マッカーサーと吉田茂の章に特に感銘を受けた。
チャーチル「歴史を作る最良の方法は、それを書くことだ」「偉大な国家は、生存にかかわる重大事を他の国々に決めてもらおうとは思わない」
ドゴール 自分を指すのに三人称を用いた。シーザーやマッカーサーも同じだった。
マッカーサー 「司令官にとって最も大切なことは、5%の需要な情報を、95%のどうでもいい情報から見分けることだ」
吉田茂についてニクソンは「指導者にとって満足の最たるものは、自己が舞台を去ってからもなお、わが政策の継承されるのを見ることだろう」と語る。
アデナウアー 正道と穏健を守り、準備に心がけた。不意を衝かれることはなかった。
周恩来について。 ニクソン「中国革命が実を結ぶかどうかは、現在の中国の指導者が周恩来のように「共産主義者であるより先に中国人」であり続けられるかどうかにかかっている」と語る。

知的生産のヒントももらおう。「チャーチル。戦争中も昼寝を欠かさなかった。必ず演説の草稿を書き、暗誦し、鏡の前でゼスチャーを研究し、あれこれ研究した」「ドゴール。まず原稿を書き、暗記してから原稿を捨てた」「マッカーサー。健康の秘訣は、仮眠とあまり酒を飲まないこと、腹八分の食事。どこでも欲する時に眠れる」ことを挙げている。アデナウアー「ひげをそっている間にアイデアがひらめくので、バスルームには紙と鉛筆を以って入った」。

さて、最初に戻って、自分が大統領を狙わず、大統領職に自分を狙わせる。これこそ大統領になる最大のコツではないだろうか」である。

47歳でケネディに敗れた8年後の大統領選に挑むにあたって、ニクソンは国内で6か月間選挙運動をしないという冒険に出た。選ばれた場合、どのような大統領になるかを意識して、学びの旅に出た。ヨーロッパとアジアの主要な国を訪問した。ベトナム、中東、ソ連、ラテンアメリカ、アフリカ、、。自分を磨いたのである。自分を磨いたのである。

1960年のアメリカ大統領選は、43歳のケネディと47歳のニクソンの戦いだった。それから60年後の2020年は、74歳のトランプと78歳のバイデンの戦いになった。



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