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「名言との対話」3月20日。安野光雅「私は薬で命をながらえることより、絵を描いて命を充実させることをおすすめしている」

安野 光雅(あんの みつまさ、1926年3月20日 - 2020年12月24日)は、日本の画家、装幀家、絵本作家。

本日の22時から30分でテレビ東京で「新・美の巨人」をやっていた。誕生日の日の追悼特集なのだろう。ライフワーク「天使の旅」の9巻の物語。小舟で出てゆく旅人。名画の世界。ゴッホ、ミレー、、。独特の構図。遠近感のない平等な描き方。「天使たちの視線」、人々をみる角度。本城直季(写真家)。日本のとこりでは東日本大震災で残った一本杉も入っている。「数学」。小学校の絵の教師時代には、数学者の藤原正彦が習っている。編集者の松田哲夫もそうだ。森毅との対談風景。「自分の目で観て考える」。福音館書店から「なぞなぞ」という遺作も出版されている。

安野は工業高校を出たあと、小学校の教員をしてあと、23才で上京し、三鷹市や武蔵野市で小学校教員をしながら勉強し、35才で画家として独立する。42才で「ふしぎなえ」(福音館書店)で絵本作家としてデビューする。安野の絵は、島根県の津和野出身であることが影響しているという説が多い。「絵を志すようになったスタートラインは津和野だったと言うほかありません。」と本人もそのことを半ば認めてもいる。

代表作には「ふしぎなえ」、「ABCの本」、「天動説の絵本」、「旅の絵本」、「繪本 平家物語」、「繪本 三國志」や司馬遼太郎の紀行「街道をゆく」の挿画などがある。

また多くの業績に対し、ブルックリン美術館賞(アメリカ)、ケイト・グリナウェイ賞特別賞(イギリス)、BIBゴールデンアップル賞(チェコスロバキア)、国際アンデルセン賞画家賞、紫綬褒章、第56回菊池寛賞など国内外の数々の賞を受賞。文化功労者、

安野光雅美術館は2001年3月20日、津和野町名誉町民の安野光雅の75歳の誕生日に、故郷津和野市の駅前にが開館にオープンした。収蔵される作品は4000点を超える。2017年6月23日に京都府京丹後市に安藤忠雄設計の「和久傳ノ森 森の中の家 安野光雅館」が開館した。

私は安野光雅の企画展には何度も足を運んでいる。この画家の絵は、原風景をおだやかに淡い色遣いで描いていて観る人の心を和ませてくれる。。ファンが多いのはよく理解できる。日本では笛吹川小景、富士川、身延山、大菩薩峠、桂川、山村初秋、笛吹川錦秋、笛吹川錦秋、笛吹川晩秋、、。イタリアの風景では、トスカーナの小さな村、バルベリーニ広場、ヴェネツイア、フィレンツエへの道、ローマ、、。

『絵本 歌の旅』『絵のある人生』『絵の教室』などの本を読んでいるが、エッセイも素晴らしくうまい。自然やものをみる目がいい。『絵本 歌の旅』では、早春賦、朧月夜、荒城の月、牧場の朝、からたちの花、城ヶ島の雨、琵琶湖周航の歌、山小屋の灯、あかとんぼ、椰子の実、たき火、ふじの山、仰げば尊し、ふるさとなど実に懐かしい童謡、唱歌を題材に、ほのぼのとしたエッセイが並んでいる。
「大人になってふりかえれば、その歌詞の意味を読み取ろうとするが、缶を開けて出てくる歌は、軍歌だろうと、恋歌だろうと、歌詞の意味はあまり問わない。」

「ただでくれるといわれたら、どれにする?」というふうに自分に問いかけてみると、自分なりの目が出来てくるのだそうだ。私の知り合いが、美術館では「自分の家にどれを飾ろうか」と考えて見るといいと教えてくれたが、同じような鑑賞の方法である。

『絵の教室』という新書の「はじめに」の冒頭には、「自分で考える」という文章がある。どのような分野でもとにかく「受け売りでなかったらいい」ということを言っているのは共感を覚える。そして「「絵が好き」という感性は、好奇心、注意力、想像力、そして創造力になり、枝分かれして物理学、生物学、医学というぐあいに変化しているのではなかろうか」「絵というものは、どうもイマジネーションというノウハウのない世界に力点がかかっているのではないかと思えてきたのです」。この本にゴッホのことがでてくる。日本の浮世絵には線がある。縁取りなどの線がある。でもフランスの絵には線がないと、日本の絵に驚いている。私自身、美術館を訪問する機会が増えているが、日本は線で描くのに対し、西洋画は面で描くという言い方をよく聞くが、こちらから見ると未熟な手法だという自虐的な説が多いのだが、相手から見ると優れた手法に見えるということなのだ。

「絵を描くとき、自分の意志というより、頭の中に誰かがいて、わたしの感性を左右するらしく、、、」。「創造性は、想像すること、つまりイマジネーションからはじまります。そしてそれは疑う力とセットになっている」と安野光雅は言う。そういう創造力は、子ども時代の豊かな時代にあったと深く思うようになった安野は、そういった日本の美しい自然を描く、残すことを使命と考えているように感じていたのだ。
安野光雅は、観察力、記憶力、調査力に優れた画家だ。この画家は、絵もさることながら文章もうまくエッセイもいい。まず、記憶力がいい人だ。子供の頃からの想い出も細かく記している。それは観察力に優れているからだろう。そして徹底的に調べる人でもある。絵はただイメージで描くというのではなく、この人の描く分野は具体性が求められる場合が多いので、こういう力が必要なのだ。安野は「絵本」というじジャンルで「平家物語」、「三国志」、「ガリバー」、などの古典を表現しようとしている。人形師、漫画家など独特の表現技術を得た人が必ずたどる道である。

『絵のある自伝』から。「その旧跡を訪ぬれば、むかしの時間も帰ってくると考えられぬ、、、、、そこにたてばなにほどかの感慨はわき起こるのである。、、地霊というものがあって、それが私に灌漑や情景をもたらすのだ、、、」「ほとんどの人物は差引ゼロという感じになっている」。

安野光雅「絵本 平家物語」。「平家物語」そのものは読んでいないので、今回は安野の絵とまとめの文章とで全体がつかめた。平家が昇殿を許された天承元年(1131年)から「平家にあらずば人にあらず」と言われたその清盛の栄華の極みを少し描いた後、平氏の悪逆非道な振る舞いと、源氏の勃興、そして那須平氏の滅亡までが、巧みな文章と素晴らしい絵画で綴られている。改めて、この物語は大叙事詩であると感じた。 講談社学術文庫「平家物語」(全12巻・杉本圭三郎訳注)を中心に、絵画化した場面に沿って安野が文章を書きおろしたものだ。選んだ79場面と、それを含む143の文が原点に沿って配列されている。

安野は旧跡を訪ね、昔の時間を探す。その場所に立てばなにほどかの感慨が湧きおこる。地霊が感慨や情景をもたらしてくれると言っている。「絵本」という表現手段は、物語の主要なシーンのイメージを描いてくれているので、文章と相俟って真に迫ってくる。日本の古典にとどまらず、世界に目を向けて、古典を絵本という方法で再解釈しようとした画家である。戦い、俊寛僧都の鬼界が島への島流し、巴御前、那須与一、義経の活躍と死、、、。

「私は薬で命をながらえることより、絵を描いて命を充実させることをおすすめしている」との人生観があり、「私は絵を描きながら死にたい。描きながら死にたい」といってそのとおりに亡くなったセザンヌを思い出した。安野光雅のこの考え方には共感を覚える。

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