「名言との対話」 6月19日。田鍋友時(長寿者)「無限です」「まだまだ10年生きたい」「まだ死にたくはない」

田鍋 友時(たなべ ともじ、1895年(明治28年)9月18日 - 2009年(平成21年)6月19日)は、かつて男性長寿日本一であった宮崎県の長寿者。

2007年1月24日からは、男性長寿世界一となり、ギネスブックにも認定された。

宮崎県都城市生まれ。市役所に土木技師として務めた後、農業を営んでいた。亡くなった時点で子供が8人(5男3女)、孫が25人、曾孫が53人、玄孫が7人いた。

新聞を読むのが日課で、日記を何十年も付け続けていた。好物は牛乳で、毎日午後3時に飲む習慣は欠かさない。自身の長寿の秘訣は、「たばこを吸わないこと、焼酎(酒)を飲まないこと」だという。晩年は五男夫婦と3人で暮らしていた。

私の「新・孔子の人生訓」では、112歳までが「大人期」であり、それ以降は「仙人期」になる。その仙人期で、田辺はどのように発言したか。

2007年に112歳の誕生日を迎えた際、「何歳まで生きたいか」との質問に「無限です」と答えたという。

「まだまだ10年生きたい」は、宮崎県都城市の自宅で、2008年09月11日に語った言葉である。時事通信社が配信した当時の写真をみると本当にそう思っていたのではないかという気もする。

2008年の113歳の誕生日でもあと何年生きたいかという問いに対し、「まだ死にたくはない」と答え、健在ぶりをアピールした。

2009年5月上旬頃から、起き上がって過ごすことができなくなり、同年6月19日午前5時に慢性心不全のため死去。享年113。男性の世界最高齢者であった。

2007年1月28日からは、福岡県の皆川ヨ子が長寿世界一となり、一時期、男性長寿世界一と女性長寿世界一の両方を日本人が独占していたことになる。

男性長寿世界一の記録を達成した田鍋友時は、「何歳まで生きたいか」との質問に、「無限です」「まだまだ10年生きたい」「まだ死にたくはない」と答え続けていたのである。

この機会に、近代以降の「高齢で死越した著名人一覧」の資料を調べてみた。いずれこのリストを活用するときがくるだろう。

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