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10月14日。石田博英「組織より、つながり」

石田 博英(いしだ ひろひで、1914年(大正3年)12月12日 - 1993年(平成5年)10月14日)は、日本の政治家。

衆議院議員(14期)、労働大臣(第14・17・18・22・23・39代)、運輸大臣(第47代)、内閣官房長官(第16・17代)、衆議院議院運営委員長(第6代)。

今回読んだ河野洋平との共著『自由社会は沈まず!』では、宿望であった石橋湛山内閣を三木武夫(幹事長)と一緒に成立させ、40を越えたばかりの年齢で官房長官として、病気退陣を仕切った時の経緯が書いてあった。政局の静穏円滑を求めるのが自分の仕事だと考えての大仕事だった。

秋田県大館市を訪問したとき、石橋湛山の足跡をみる機会があった。横山児童公園に横山助成先生記念碑があった。横山は大館生まれで帝国大学を卒業し、内務省局長、6府県の知事・警視総監、貴族院議員、東北興業総裁をつとめた人物だ。家族が基金を寄付し公園となった。石田博英がその会の代表だった。

昭和初期の建物である欅づくりの桜櫓館は、町長をつとめた桜場文蔵邸で、桜の名所と三階の展望台の櫓から命名された建物だ。安土城の天守閣を模している。大館出身の石田博英が、この近くの狩野家を私邸としていたところが、「石田ロズカーデン」となっていた。ここでも石田の名前が残っていた。

盛岡の原敬記念館で、平成12年4月の「現代」で行った「20世紀最高の内閣」という企画があった。外務大臣:幣原喜重郎、大蔵:池田勇人、文部:石橋湛山、通産:岸信介、運輸:後藤新平、郵政:田中角栄、労働:石田博英、建設:福田赳夫、内閣官房:後藤田正晴、総務庁:佐藤栄作、防衛庁:中曽根康弘、環境庁:大石武一、国土庁:松下幸之助、金融再生:高橋是清、そして総理大臣は原敬だった。

1957年からの第1次岸改造内閣では労働大臣。1960年からの第1次池田内閣で三井三池争議の収拾のため、再び労相に任命。1964年、第3次池田改造内閣において三度目の労相。1976年からの福田赳夫内閣では4度目の労相を務める。20世紀最高の内閣の労働大臣に擬せられたのは、20年にわたって何度も労働大臣をつとめた実績からだったのだろう。石田博英労働大臣の印象は私にもある。師の石橋湛山も文部大臣に選ばれている。

石田博英は長い議員生活で離党を1回経験し、除名も2回されている。しかし票数はほとんどかわらなかった。政党の組織などはあてにならない。日々の「つながり」が基礎票だ。浮動票ではなく、足腰の強さ。それが当時の自民党の強みだった。

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