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「名言との対話」6月2日。笠原一男「人生における偉大な成功者・勝利者に共通してみらえる人間の条件は、知力と体力と長寿である」

笠原 一男(かさはら かずお、1916年6月2日 - 2006年8月19日)は、日本の歴史学者。

旧制新潟高等学校を経て1941年に東京帝国大学国史学科を卒業し、東京帝国大学史料編纂所に勤務。応召、復員し、東大史料編纂所に復帰した。1960年に助教授、1966年に教授。1977年に定年退官する。その後は放送大学教授となり1990年に退任。日本文化研究所長、庭野平和財団理事などを務める。1962年、「一向一揆の研究」により東京大学から文学博士の学位を授与される。

日本中世宗教史(鎌倉仏教)が専門で、社会経済的基盤からみた浄土真宗や本願寺の研究に取り組み、創価学会、立正佼成会など現代の新宗教にも研究を広げる。『女人往生思想の研究』は、平安時代には普通に認められた女人往生が、鎌倉時代に入ってから認められなくなったことを示した代表作である。

笠原一男『蓮如』(講談社学術文庫)を読んだ。

浄土真宗の改組・親鸞は、29歳で信心を決定。90歳に至るまでを念仏と布教にささげた。テーマは「幸せに生き、幸せに死ぬか」であった。

蓮如という人は、15歳でさびさびとしていた本願寺を再建することを決心し、70年かけて極楽浄土のようだといわれるまでに発展させ、85歳で亡くなった。「蓮如言行録」は700余ある。いくつかを挙げると、「聖教読み、つなり仏教学者で仏法を盛んにした者はいない」「なによりも親不孝の者を第一に嫌われた」「坊主、年寄り、長(おとな)に信仰をもたせたい」「自力は念仏で罪を消そうとする。他力は自分を助けてくれる姿に拝むのが南阿弥陀だ」「同じことを何回聞いても、いつもめずらしく思われ、はじめて聞いたように感ずることが信仰のうえでは必要である」、、、。蓮如の和歌には「罪深き人をたすくる法なればただ一すじに弥陀をたのめよ」などがある。永遠に生きられる極楽往生までのこの世をどのように過ごしたらよいかをあらゆる角度から説いた人だ。

真宗は「一念発起、平生業成」。生き様のままで阿弥陀仏を信じよ。十悪五逆の罪人、五障・三従の女人のみんなを助けてくれる。悪人正機。悪人とは凡夫のこと、正機とは優先。諸宗・諸法の悪口、守護・地頭のないがしろにしない。「南無阿弥陀仏」の中には、あらゆる教えと諸神、諸仏もすべて籠っているから阿弥陀一仏を頼めば一切に帰依することになる。

笠原一男は、大学入学後に「蓮如」を研究テーマに選び、卒業論文、学位論文、そして80歳で亡くなるまで60年かけてこのライフワークを研究している。蓮如は、よき師であり、よき友であった。ライフワークとしてある人を研究するということは、その人の言行が自分の磨き砂になるということだ。蓮如は笠原自身であったということになる。

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