3月19日。藤島武二 「油絵の本質は、どこまでもどこまでも突っ込んで行くところにある。体力のすべてを動員し、研究のすべてを尽し、修正に修正を重ねて完璧なものにするのが油絵である。そしてそれがためには断じて中途で挫折することにない強烈な意欲が必要なのである」

藤島 武二(ふじしま たけじ、1867年10月15日(慶応3年9月18日) - 1943年(昭和18年)3月19日)は、明治末から昭和期にかけて活躍した洋画家である。

藤島武二と岡田三郎助(1869-1939年)は、1868年の明治維新を挟んで生まれており、同世代だ。藤島は横顔の女性像、岡田は気品あふれる画風で知られている。2人とも近代洋画の世界で大きな足跡を残しているのだが、その人生行路が全くと言ってよいほど似通っていることに驚く。藤島は1943年3月19日に他界。

藤島は薩摩藩、岡田は佐賀藩の出身で、同時に西洋画を志、その志を遂げて、同時に第一回の文化勲章を受章しているのは面白い。まさに切磋琢磨する永遠のライバルだったということだろう。日本画の方は、東京の横山大観と京都の竹内栖鳳が受賞しており、美術界はこの4人で進めてきたのがわかる。

夢中になると休憩しなくなるから、葉巻を吸う習慣を持つことで体力の消耗を防いだと述懐している。

「油絵の筆触には、油絵の具を充分伸ばすだけの腕力」そして「腕力よりも一層腰の力が大事だ」と言うように、全身を使って絵を描いている。そして口癖は「もっと大きく見よ。大体に注意せよ」であった。

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