3月26日。 山口誓子「私はただ事に当って全力を尽くしただけのことである」

山口 誓子(やまぐち せいし、1901年(明治34年)11月3日 - 1994年(平成6年)3月26日)は京都府出身の俳人。

虚子の名は、清(きよし)からでた。誓子は、本名の新比古(ちかひこ)を二分して「ちかひ」を誓、「こ」を子を当て、「ちかひこ」と名乗った。虚子が「せいし」君と呼んだので、そのままになった。

25歳から住友合資会社で働き、病気療養を経て41歳で退社している。47歳、『天狼』創刊。56歳、朝日歌壇の選者。誓子は病気療養中でも、一日も作句を怠ることはなかった。

誓子の俳句に連なる巨人たちの論評がいい。

芭蕉:「よく物を見る」は」芭蕉に始まった。「句整はずんば、舌頭に千転せよ」。子規:自得悟入型のひと。絵画の写生を俳句、短歌、文章に適用し、そのおのおのを新しくスタートせしめた。虚子:子規の教えに従って、俳句を進展せしめたのは虚子。文章を進展せしめたのも虚子。写生文の流れは虚子、左千夫を経て漱石と長塚節を生んだ。茂吉:素材拡大の精神を学んだ。近代と西洋。「実相観入」。現実に入って感動し、具象的表現を得て外へ引き返す。短歌を進展せしめたのは茂吉。

誓子は、ケーベル先生の如く「余は常に多くのことを学びつつ老いる」ことを念願する者であると述べ、見たり、聞いたりした事物のメモをとって置き、そのメモを土台にして句をまとめていく。

以下、俳句論。

・俳句は日常的なものに深い意味を読みとる詩である。作者は日常的なものに深い意味を読みとる眼を養わなければならぬのである。・即物具象。即物は観照の段階。具象は関係付けを得て出てくる表現の段階。・物と物とが照らしあわしているという相互関係が必要なのだ。その物と物とがぶつかりあって、火花を散らさなければならぬのだ。そこが短歌とちがうところである。・私の俳句方法は、「物」から入って、その内部の、眼に見えざる関係を捉え、引っ返すときに、又、「物」から出てくるのである。・物は変化して一瞬もとどまることはない。しかし物は他の物と関係しながら変化する。俳句は、その物と物との関係をとらえて物を定着すり詩である。・物は他の物と関係しながら変化している俳句はその物と物との関係をとらえて定着すり詩である。この俳句信条を私は般若心経から学んだ。

以下、選者論。

・選者には俳句観が確立していなければならぬ。俳句がいかなる詩であるかという考えが確立していなければ、他人の句をさばくことができない。選者は自己の俳句観に照らして俳句のよしあしを決め、あたこれは俳句なり、これは俳句に非ずと篩い分けるのだ。・選者は他人のよきところを伸ばさねばならぬ。それによって他人の進むべき道を示すのだ。選者はそのような指導者であり、教育者である。

 凧の糸青天濃くて見えわかぬ

 除夜零時過ぎこころの華やぐむ

 日本がここに集る初詣

57歳では、なりたい職業はなかったが、「ただ事に当って全力を尽く」すという態度を貫いた結果、俳句につながる現在の職業が、うってつけの職業になったと語っている。ここに天職への扉を開く秘密がある。

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