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「名言との対話」9月28日。 寺田明彦「苦悩して苦悩して、ようやく一筋の光明が見える、その先で、光が閉ざされようとも、それでもやり続ける。それが覚悟というものです」

寺田明彦(1936年4月23日〜2019年9月28日)は、経営者。ニチイ学館創業者。

経営誌「企業家倶楽部」が主催する第21回企業家賞の受賞式のスピーチをユーチューブでみたが、真摯な態度と誠実な語りかけが会場を圧していた様子がよくわかる映像だった。そのスピーチを軸に、ニチイ学館という企業の成り立ちと現在をプロットしてみよう。

1961年に始まった医療保険制度は、保険証さえあれば全国どこでも医療サービスが安価で受けられる。世界に類のない画期的な制度だ。医療機関は『診療報酬請求明細書』を提出しなければならない。その面倒な診療報酬請求業務の手伝いをしたところから、事業が始まり、国から仕事の依頼が舞い込むようになった。確かなニーズがあると気付き勤めている会社を辞め、計画的に人材を育成して全国の仕事を引き受けることにした。医療関連サービスのニチイ学館が誕生する。寺田によれば、「研修会で熱心な人を口説き、その人を中心に拠点を拡大していった。創業10年かけて、メディカルサポート事業は47都道府県に組織ができた。

2000年に介護保険制度が始まった。寺田は制度開始前に10万人以上の介護人材を育成し事業展開を推進していく。それは医療の仕事で育てた全国の拠点があったことで実現できたのだ。そして医療・介護・保育を軸に全国の企業組織網を強化・拡充し、各地域で雇用を創出していった。

2020年3月末で、社員37,185名、業務社員53,583名。売上高(連結)2,979億円。受託先は8300件に及ぶ。。本社、支社5、94支店が存在する。海外も中国を始め、オーストラリア・カナダ・フィリピンにも展開している。中期経営計画「VISION2025」では、「保育」や「語学教育」などへ事業領域を拡大させ、総合生活支援企業へ向かい、2025年3月期には、連結売上5000億円以上、営業利益率10%以上を目指している。

寺田明彦は、「人生百年時代に寄り添い社会に貢献したい」との願いを持っていたが、それは叶わず、すい臓がんで2019年9月28日83歳の生涯を閉じた。

社員への最後のメッセージは、超高齢社会に入った日本の「医療と介護」を支えていく覚悟をもって持ち、「未来」を変えるチャンスに参加しよう、だ。覚悟とは、「苦悩して苦悩して、ようやく一筋の光明が見える、その先で、光が閉ざされようとも、それでもやり続ける。それが覚悟というものです」であった。

医療事務という資格があることは1970年代から知っていたし、現実にその勉強をしていた女性を何人か私も見ている。その仕事を開発し、「医療と介護」の現場を支える人材を育てて、日本の課題に挑戦してきたのが、この寺田明彦であったのだ。 「医療も介護もニチイがいなければ始まらない」と言われるまでに成長したのは、創業者のこのような覚悟があったからだろう。寺田明彦は自らつくった医療と介護の仕組みを利用して、彼が育てたエッセンシャルワーカーたちの支援を受けて最後を迎えた。本望であっただろう。コロナ時代に入り、医療・介護サービスも転機を迎えているが、後継者たちには、社是である「誠意・誇り・情熱」で乗り切っていくことを期待したい。

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