3月25日。辰野金吾 「一つもない。俺は一生懸命やったがダメだったなあ」

辰野 金吾 (たつの きんご、1854年10月13日〈嘉永7年8月22日〉- 1919年3月25日) は、日本の建築家である。

晩年に長男から、本人がつくった多くの建築物の中で気に入った建物を聞かれたときの返答がこの言葉だった。3月25日に卒す。

建築家・辰野金吾の作品は、日本銀行本店、京都支店、小樽支店、大阪支店を始め、第一銀行、森岡銀行、朝鮮銀行、百三十八銀行、山口銀行、加島銀行などの金融機関などがあるが、最も有名なのは東京駅だろう。いずれもルネサンス系に辰野独特の手法を加えた作品が多く、辰野式と呼ばれている。赤レンガに白色のストライプが入り、賑やかなスカイラインが特徴だ。

辰野は美術建築の概念をつくり、日本建築学の研究を行い、耐震建築学を創始した。つまり日本独自の建築学は辰野がつくったといえる。東京と大阪に建築事務所を構えて200棟を超える膨大な辰野式建築で、美術と建築の一体となった世界を生んでいった。

「俺は頭がよくない。だから人が一する時は二倍、二する時は四倍必ず努力してきた」と語っている。この人の人生は努力と戦いと挫折の連続の中で、少しづつ階段を駆け上がった人生だった。最初は平凡だが、じわじわと追い越していくというタイプであった。

冒頭の言葉は、辰野金吾の志の高さをあらわす言葉とみたい。

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