「名言との対話」 3月22日。福田平八郎「私の絵は分かり易く言えば、写実を基本にした装飾画と言えると思います」

福田 平八郎(ふくだ へいはちろう、1892年2月28日 - 1974年3月22日)は、大分県出身の日本画家。

大分中学校在学中、絵画への志を立て、京都市立絵画専門学校別科に入学し、翌年京都市立美術工芸学校に入学しなおした。同校卒業とともに、京都市立絵画専門学校に入学、卒業した。在学中に第10・11・12回文展に入選。「君は自然を客観的に見つめてゆく「ほうがよくはないか」とアドバイスを受ける。卒業の翌年、1919年に第1回帝展で入選。27歳になっていた。2回も入選。3回では「鯉」で特選、そして宮内省買い上げとなり、一躍大画家に押しあげられる。1924年、母校京都市立絵画専門学校の助教授となる。

帝展、新文展、戦後日展へと、官展を中心に活躍しつづけた。後進の育成にもあたったが、1937年、絵専の教授を辞め、制作に専念する。

1947年帝国芸術院会員となり、1961年には文化勲章を受章した。またこの年大分市名誉市民に推され、1973年には小野竹喬、堂本印象らとともに京都市名誉市民として表彰された。1973年、死去。享年82。

作品は、最初厳しい写実により出発し、次第に画面は自由に簡略化され、その作風は従来の日本画にみられない独自なものとして高く評価された。代表作―「鯉」「漣」「筍」「新雪」「雨」など。

生涯「水」の動き、感覚を追究していた。「描くのに水ほど興味があり、また水ほど困難なもはない」。「水には金属的な光がある」。代表作の「漣」(さざなみ)は池面に映る水面の模様を描写した作品である「釣りに行って釣れなかったおかげで絵がかけました」という苦労話を昭和天皇に語った。肌にも感じない微風が美しい漣(さざなみ)をつくっているのをみつけた。近代日本が生んだ名作のひとつだ。銀地の屏風に群青の冴える作品。風と光を感じる作品だ。

大分市には福田平八郎画伯の生家がある。大分市には「福田平八郎賞図画展(通称「福田賞」)という名称の賞がある。

「わたしはものを見るとき、形や線よりも先に色を強く感じてしまう」というカラリスト福田平八郎は花鳥風月を好んで描いている。一見すると平板だが、美しい色で写すという独自の表現に到達した。写生に徹した装飾画の画家となった。

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