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「名言との対話」2月13日。フランキー堺「一生けんめいとか必死なんてえのは、能なしの甘えの言葉だ」

フランキー 堺(フランキー さかい、本名;堺 正俊、1929年2月13日 - 1996年6月10日)は、日本のコメディアン、俳優、ジャズドラマー、司会者。

鹿児島市出身。麻布中学を経て、慶応義塾大学法学部卒。大学時代から進駐軍のキャンプでバンド「シックスレモンズ」のジャズ・ドラマーとして演奏し、芸能界へ進む。後に映画へ進出し、『幕末太陽傳』(ブルーリボン賞主演男優賞)や『駅前シリーズ』などに出演した。BC級戦犯の悲劇を描いた『わたしは貝になりたい』では、芸術祭文部大臣賞を受賞している。『駅前シリーズ』の喜劇や、『駅前シリーズ』での深刻な演技は、私も十分に堪能している名優だ。

「次回作はフランキー主演で写楽を撮る」と告げたまま急死したK監督とは『幕末太陽伝』の監督の川島雄三だ。20数年後には今回読んだフランキー堺『写楽道行』(1986年刊)を刊行している。それを今回読んでみた。「謎の浮世絵師写楽にのめり込んだ男がある日突然、寛政年間へタイムスリップ。写楽研究二十数年の著者が描く奇想天外にして摩訶不思議な小説世界」という触れ込みである。

「写楽」はK監督との約束もあり、フランキー堺のライフワークになった。俳優の仕事を終えて、疲れ切って家に帰っても、深夜の書斎で机に向かい、1年足らずで140数枚の浮世絵を描いた謎の絵師・東洲斎写楽と会話を重ねる日々を積み重ねている。主人公の鮒木栄(ふなきさかえ)が寛政年間にタイムスリップして写楽に入るというストーリーで、歌麿、十返舎一九、司馬江漢、蜀山人、などの役者が登場する傑作だ。

この本の中で、鮒木は学生時代はジャズマン、ユニークな発想や容姿を買われて映画界へ入ったとあり、感性のジャズ・ミュージシャンと知性の俳優をこなしていた。「大実験をやっている科学者のような真摯な態度で楽団をリードし、脚本家のような思いをこめて編曲し、やりくり社長のように給料を払い、職方にまじって釘を打つ現場監督のようにドラムを叩き、吟遊詩人のようにパロディの歌を唄った」。「音楽で感性に磨きをかけ、俳優としての技と詩想の形成に役立てるのです」。鮒木は著者のフランキー堺そのものだ。この小説は、自分を描いている。自叙伝といってもよい。

時折、登場者に語らせる言葉にフランキー堺の思想が垣間見える。「絵がずば抜けてうまいということと、人そのものの奥行きとは同じでないことが多い」(歌麿)、「己の腕の上達と、世間での栄達は、これは決して一緒には歩いてくれんものや」、、、。

そして10年近く経った1995年に篠田正浩監督が『写楽』を撮った。フランキー堺は版元の蔦屋重三郎を演じ、企画総指揮・脚色もつとめている。

1974年より大阪芸術大学舞台芸術学科の教授に就任し、学科長も務めている。役者のフランキー堺しか知らなかったが、この人は相当のインテリだ。「フランキー堺くらい頭の良い人は見たことが無い」と同級生が語ったというが、『写楽道行』はなるほど知性の高さを感じる名作だった。

フランキー堺は、版元の 蔦重に「一生けんめいとか必死なんてえのは、能なしの甘え言葉だ」と言わせている。どんな仕事でも、どんな人でも、一生懸命にというのは当たり前の前提に過ぎない。プロは結果に責任を負うということだ。フランキー堺のライフワークの「写楽」については、映画や小説ですぐれた結果をだしたと評価したい。この文章を書きながら、なぜかすがすがしい気分になった。

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