3月16日。 笠智衆「地道な努力というものも、だれも気が付かないようでいて、結局は、次第に人の目にも立つようになるものらしい」

笠 智衆(りゅう ちしゅう、1904年(明治37年)5月13日 - 1993年(平成5年)3月16日)は、日本の俳優。

俳優としてなかなか芽が出なかったが、30代に入ったばかりの頃に、「笠さん、老けをやったことがあるかい。いっぺん、やってみるか」と小津安二郎監督から声をかけられ「一人息子」に出演する。それがきっかけとなって笠智衆は日本の父親像を演じることになった。

映画の最盛期は、俳優笠智衆の最盛期だった。32歳では14本、そして戦後は50歳でフリーになった。51歳は13本、56歳では13本に出演している。

山田洋二監督の名シリーズ・渥美清主演の「男はつらいよ」は1969年からで、笠智衆は実生活では熊本の浄土真宗の寺に生まれながら継がなかったのだが、第1作からずっと柴又帝釈天の住職「御前さま」として毎回出演していい味を出している。

60代からは、紫綬褒章、男優助演賞、旭日小授章、特別功労賞、放送文化賞、菊池寛賞、東京都文化賞などを、もらうようになった。

「映画俳優が映画の中で自分を語ればいい」というのが持論だったが、日本経済新聞の「私の履歴書」に1986年に登場して多くの読者を得た。それが『俳優になろうか』(朝日文庫)という文庫になっている。その本の「あとがき」では「いま振り返ってみると、私は俳優にしかなれなかったのではないか」とある。たまたま就いた仕事に没頭しているうちに、ある日これが天職だと思うときがある。天職はそういうものではないか。

笠智衆自身の自己診断は「下手、不器用、素質もなく、要領も悪い」である。その笠を五所平之助、木下恵介、岡本喜八、山田洋次、小津安二郎ら巨匠がよく使った。地道な努力の積み重ねが、次第に薄皮をまとうことになり、いつかその衣を人が気づいてくれるということなのであろう。笠智衆は日本最高の老け役となって私たちのまぶたに生き続けている。

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