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「名言との対話」 5月7日。並河萬里「後世にどう伝えるべきか」

並河 萬里(なみかわ ばんり、1931年10月29日 - 2006年5月7日)は、日本の写真家。

東京出身。第二次大戦中、疎開で島根県松江市に住む。日本大学芸術学部写真学科を卒業後、ラジオ東京(現東京放送(TBS))勤務ののちフリーとなり、アジア・中近東、シルクロードの世界的文化遺産の写真を撮りつづけた世界的写真家である。代表作に写真集『シルクロード』などがある。

萬里の父・並河亮はNHKなどを経て日大芸術学部や玉川大学の講師もつとめた人で、ユネスコ・アジア文化センター評議員などをつとめた文学博士だ。その並河亮が文章を書き、息子の並河萬里が写真という親子の合作本という珍しいを読んだ。『仏像のながい旅路』(玉川選書)がそれだ。父77歳、息子47歳のときの出版だ。著者紹介では住所は同じになっていた。

釈迦が亡くなって3世紀以上経って今のパキスタンのガンダーラで、釈迦が「何をして、いかに生きたか」を仏伝図に彫られ、初めて仏像が誕生した。その影響でインドでは礼拝のための仏陀を制作するようになった。仏教が東方に伝播するにつれ、それぞれの土地からの刺激を受けてさまざまな仏像が創造されていく。日本では552年に仏像の第一号が百済から入る。浄土思想の影響で、音をきき分ける、観ることのできる観音菩薩や、現世に利益をもたらす薬師如来、地蔵菩薩に人気があった。中国では8等身であった仏像は日本では6等身となり、座像が多くなる。この本の題名のとおり、仏像はながい旅路を経て、日本に安住の地を見出したのである。

萬里は膨大な写真を撮り続けたのだが、その優れた成果は数々の受賞、受章にみることができる。1966年 フランクフルト写真集団特別賞受賞、1967年 スペイン写真文化賞受賞。1968年 グワダラハラ市文化功労賞受。1969年 スペイン騎士十字章受章。1970年 メキシコ合衆国名誉勲章受勲 。1972年 イラン王室文化章受章。1973年 トルコ共和国文化功労章受章。1974年 トルコ共和国科学文化賞受賞。世界で評価が高かったが、日本でも日本写真協会第21回年度賞受賞や毎日芸術賞を受賞している。

文明と歴史の偉大さに圧倒され、強い感動を覚えた萬里は、戦争や災害、観光地化など、様々の破壊から生き残ってきたこういった文化遺産を「後世にどう伝えるべきか」と自問自答しながら、半世紀にわたり、名前のとおり萬里をこえて世界40ヶ国でシャッターを切り続けた。文化遺産とは、人類は何をして、いかに生きてきたかを、後世に伝える人類共通の財産だろう。その使命感がエネルギーとなって、写真という形で人類の文化遺産を後世に残したのだ。そして、その作品自体が、並河萬里が「何をし、いかに生きたか」を伝えてくれることになった。あらためて「何をし、いかに生きたか」という言葉をかみしめたい。

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