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「名言との対話」5月23日。 廬武鉉「私は韓国を変える」

盧 武鉉(ノ・ムヒョン、朝鮮語: 노무현、1946年9月1日〈旧暦8月6日〉- 2009年5月23日)は、韓国の政治家、第16代大統領。

裁判官、国会議員、政党幹部として10余年政治活動を行い、大臣として行政を担った。立法、司法、行政の3権をすべて経験している。2012年12月19日の大統領選挙では朴槿恵に惜敗し、5年後の2017年に大統領に就任し雪辱を果たす。

2003年3月20日刊行の『私は韓国を変える』(朝日新聞社)を読み終えた。廬武鉉は2月25日に韓国第16代大統領に就任しているから、大統領としてのマニフェストの役割も持った書でもある。2000年8月から就任した海洋水産大臣時代を中心としたリーダーシップに関する考えと、大統領としての抱負が高らかに宣言されている。

信頼形成のために大事なことは業務に精通することが最優先だ。たくさん読み、多くの人と会い、部下にたえず質問することを心掛けた。大きな枠組みだけを示し、手続き上の問題は参謀に任せた。成功例が大事だ。傍観者シンドロームに陥った官僚。人事が万事で公正に対する信頼が重要。大臣は管理者でなくリーダーだ。リーダーは「なぜ」(Why)を問う人間だ。管理者は「どのように」(How)を問う。現場を大切にする。問題と解決策もあるからだ。以上のようなリーダーシップ論を読むと、共感することばかりだ。吉田茂首相は「歴史を知らない国民は亡ぶ」と言ったが、廬武鉉は「ビジョンがない民族は亡ぶ」と語っているのが印象的だ。だから、この書では半島経営のビジョンを高らかに宣言している。

韓国の歴史と文化は、大陸勢力と海洋勢力の衝突・融合である。韓国は中国、ロシア、日本などの「鯨」に苦しめられてきた。東方のスイスがモデルに分裂と対立を克服する「和解と協力の時代」を切り開く。東北アジアのビジネス中心地にするという戦略。金大中、廬武鉉、文在寅と続く、韓国民主化運動では、土台をつくった金大中政権と廬武鉉政権時代を担った若い人材が現在の政権の中枢にいる。悲願である南北の平和を実現できる展望を持つことができる時代だ。「和解と協力」政策をとった金大中大統領を引き継いだ「平和と共同繁栄」が対北政策だ。「韓半島経済圏」が実現したら、7000万人の市場をもつ国家が誕生する。中国と日本の軍備競争、南北分裂が重なれば、韓国は東北アジアの片隅で細々と生きていくしかない。南北平和なら中国と日本の軍備競争を防げる。北が譲歩したら米日韓らが対北支援を強化する一括妥結方式。韓半島平和宣言、平和協定。半島の軍縮。新マーシャルプラン。東北アジア開発銀行。統一はゆっくりと進めなければならない。南北共同の家づくり。、、、、。

しかし、実際の政権運営はいばらの道だった。廬武鉉自身は反米志向が強かったのだが現実路線を歩む。2003年に米国のイラク戦争を支持し韓国軍を派遣した。2007年には米韓FTA交渉を妥結した。支持者からは「左(革新)のウインカーを点滅させながら右折(右傾化)した」と批判され、多くが離れた。自身の思いとは裏腹に社会の経済格差は拡大し国民は閉塞感を強めた。世論調査会社の韓国ギャラップによると、政権発足時に60%だった支持率は2006年末には12%まで下落し、保守からも革新からも見放され、2007年の大統領選では後継の革新系候補が大敗ししてしまう。

退任後に収賄などの疑惑を持たれ、廬武鉉は2009年に飛び降り自殺する。その2カ月前に「政治、するな。得られものに比べ失わなければならない事のほうがはるかに大きいから。」、「大統領になろうとしたことは間違いだった」と韓国大統領になったことを後悔する文章を残している。最近、評価が高まっている。2017年4月の韓国の世論調査で48.7%の圧倒的な支持を得て、歴代大統領の中で好感度1位に選ばれている。

韓国の大統領の手記として、私は金大中(キムデジュン)、朴槿恵(パククネ)の自伝を読んでいる。「この世で一番恐ろしいのは自分の眼である。鏡の中に現れる自分の眼こそが一番恐ろしい」といった金大中、「絶望は私を鍛え、希望は私を動かす」といった朴槿恵、そして「私は韓国を変える」と宣言した廬武鉉、彼らの立派な志と末路との落差に、半島という地理的条件の難しさと悲哀を改めて感じる。金大中、廬武鉉政権の後継たる現在の文在寅政権は平和統一に命を懸ける人々によって運営されているというが、その志を遂げることができるだろうか。

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