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「名言との対話」 2月23日。野上豊一郎「私は能を日本の文化の産んだ最も卓越した物の一つとして考えてゐる」

野上 豊一郎(のがみ とよいちろう、1883年9月14日 - 1950年2月23日)は、日本の英文学者、能楽研究者。

大分県臼杵市出身。臼杵中学、第一高等学校を経て1908年に東京帝国大学文学部英文科を卒業。夏目漱石に師事した。1946年に法政大学総長に選ばれ、戦争で被害を受けた大学の復興にあたった。能の科学的研究を志し、斬新かつ独創的な研究を発表し続け、新分野を開拓した。『能・研究と発見』『能の再生』『能の幽玄と花』『世阿弥元清』など著書多数。総長在任中の1950年に死去。 1952年 4月に野上記念法政大学能楽研究所が設立された。

『能の話』(岩波新書)を読んだ。能について、野上は一つの舞台芸術が国民のものとして5世紀半以上というこんなに長く命脈を保ったといふことは、世界のどこの国にも先例のなかったことであると「序」で述べている。能は日本独特の物であり、発展の経緯は下から上へ向かって進んだものである点が特色だ。シテ(仮面)、ワキ、狂言方などが舞台に立ち、序・破・急という流れで進行する。鎌倉時代の猿楽の能が、室町時代の観阿弥・世阿弥の登場によって原型ができた。観阿弥は戯曲的構成を好み、世阿弥は幽玄第一主義をとった。能の大成者、卓越した能の作者であった世阿弥は、「家、家にあらず、つづくをもて家とす。人、人にあらず、知るをもて人となす」という。

『能の話』では、 昭和25年5月9日付で妻の野上弥生子があとがきである「跋」を書いている。野上は同郷の大分県臼杵出身の弥生子の家庭教師だった。後にこの二人は結婚する。それが作家、野上弥生子誕生の契機となった。二つ年上の豊一郎は同級生の安倍能成や岩波茂雄とともに、夏目漱石に師事していた。弥生子は漱石の会に出る夫を通じて夏目漱石の指導を受ける機会に恵まれたのである「もし文学者たらんと欲せば漫然として年をとるべからず、文学者として年をとるべし」とアドバイスを受けている。弥生子は、「本書は能とはどんなものか、それさへ不案内な人人のために亡夫」が書いたものだと記して、10数年後の増刷にあたって、そのままに残すことにしたと短い文章を書いている。豊一郎の『能楽全書』の第7巻は、能の名人たちの芸談集だ。名言の連続だそうだから目を通したい。

能は、2001年5月に狂言と共にユネスコの「人類の口承および無形遺産の傑作」と宣言された。そして2008年には世界文化遺産に登録されている。野上豊一郎が「日本の文化の産んだ最も卓越した物の一つ」と評価した能は、ようやく21世紀になって世界に認められた。その一翼を野上豊一郎の研究が担ったのである。

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