12月20日。伊丹十三 「がしかし、これらはすべて人から教わったことばかりだ。私自身はほとんどまったく無内容な、空っぽの容れ物にすぎない」

伊丹 十三(いたみ じゅうぞう、1933年5月15日 - 1997年12月20日)は、日本の映画監督、俳優、エッセイスト、商業デザイナー、イラストレーター、CMクリエイター、ドキュメンタリー映像作家。映画監督の伊丹万作は父。女優の宮本信子は妻。長男は池内万作(俳優)。次男は池内万平(伊丹プロダクション取締役)。ノーベル賞作家の大江健三郎は妹ゆかりと結婚したので義弟。ギタリストの荘村清志は従弟。料理通としても知られた。

一世を風靡した名エッセイ「女たちよ!」を読んだが、あらゆことを知っており、そして実際に実行した上で、ゆるやかに断定するという筆致の冴はただ者ではない。

エッセイスト。料理通。乗り物マニア。テレビマン。イラストレーター。俳優。この並びのように、多様な興味と薀蓄と経験を経て、最終的には天職であった映画監督につながっていく。

「タンポポ」(1985年)「マルサの女」(1987年)「マルサの女2」(1988年)「あげまん」(1990年)「ミンボーの女」(1992年)「大病人」(1993年)「静かな生活」(1995年)「スーパーの女」(1996年)「マルタイの女」(1997年)。

「寿司屋での作法は山口瞳にならった。包丁の持ち方は辻留にならった。俎板への向かい方は築地の田村にならった。パイプ煙草に火をつけるライターのことは白洲春正にならった。物を食べる時に音をたてないことは石川淳。箸の使い方は子母澤寛。刺身とわさびの関係は小林勇。レモンの割り方は福田蘭堂。、、、」

「昔、子供のときにあこがれた偉い人になるということを今こそ本当の意味でやりとげなくてはならないのだ」

この多芸多才な伊丹十三の鬱屈は、なかなか定まらない人生の焦点にあった。何でもできるが、本当は何をやりたいかがわからない。人から見るとうらやましい才能であるが、本人は苦しい。自分は何でも入る空っぽの容れ物に過ぎないと嘆いた伊丹は、50代になってようやく天職にたどり着く。なかなか焦点が定まらなかった伊丹はようやく父・伊丹万作と同じ映画監督になる。それが天職だった。伊丹十三は遅咲きだったのだ。その後は話題の多い名作をつくるが、天職についたその大活躍の期間はわずか10年余であった。伊丹十三は、偉い人になった。

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