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80年代の日本ロックシーンを辿る旅ver.1 / 地方から東京へ、上京物語 / 映画「ラストソング」にみる実情

80年代の日本の音楽シーン

80年代の日本の音楽シーンについては、伝説のバンドを軸にまとめています。

ボウイ、レベッカ、RCサクセション


この3つのバンド以外にも、80年代を彩った多種多様なバンドが存在していました。

今ほどのテクノロジーもない時代、もちろんインターネットや、音のデジタル処理なども手軽にできなかった時代、、、。でも、我々の心をつかまえて離さなかった音の数々。

そんな時代の音の名残を、トピックごとに振り返ってみたいと思います。

まず第1回目はこの映画のご紹介から。
本木雅弘、吉岡秀隆出演の「ラストソング」から、主題歌の「ラストソング」。


映画「ラストソング」の背景にある「上京」という現象

この映画は、地方(福岡)から音楽での成功を夢見て、上京する若者たちが主人公。

東京への一極集中は、戦後から始まっていて昭和30年代に集団就職などの波があり、昭和後記にピークを迎えました(流入人口の観点)。
一極集中の要因は、地理的なもの、経済的なものなど、深掘りすればいくらでも広げられます。欧州、米国などは元々の国の成り立ちが日本とは違っていて、独自の経済圏を持っていた都市国家の集合体だったり、地区ごとに自治が成り立っていたりしているので、首都圏、大都市圏という呼称はあるにせよ、そもそも一極集中しにくい構図です。
日本は、関東、特に東京への集中が多く、もしかすると東京在住者を区分けすると、地方出身者の割合の方が多くなっているのかも。(きちんと調べていませんが、結構な割合ではないかと)。
地方(という呼び方も独特ですが)出身者が上京するタイミングは、大学入学、次いで就職ですね。

また、この記事でも多少触れておりまして、、

さらに、1980年代に、大都市に出てくる、いわゆる上京が増えたのも、ある意味マーケティング戦略ですね。世帯数が増える(住宅が増える)=TVが増える(モノが売れる)=視聴率が増える・・・・

こんな感じで、家を出て東京へ出る「上京」が盛んになっていった80年代は、日本人の生活が豊かになり、若者たちが楽器を手に、自分の想いを歌に、曲ぶつけることが、、、つまり、、、、自己表現の幅が広がった時期とも言えます。

(お手本としては70年代のRCサクセションや、矢沢永吉、シーナ&ザ・ロケッツらがいたと思いますが。)

そして、楽器を手にし、地元である程度の人気を得ていく過程で、目指したものは音楽での成功。それはつまり夢をかなえるということでもあります。

日本は、上京という現象が盛んになるにつれ、経済の中心は「東京」に一極化。全国的な成功をつかむには、まず「東京」へ、、、というのが、いつのころからか、夢に憧れる若者たちの到達目標となっていきます。

上京物語

シャ乱Qの「上京物語」や、くるりの「東京」、長渕剛の「とんぼ」などで顕著なように、多くの夢たちが、「東京」へ向かいます。いわば日本国内の民族移動。

そして、すでに「東京」で成功していたバンドたちが作り上げた舞台の上で、彼ら自身の想いを、彼ら自身で演じていくことになります。

映画「ラストソング」のこと

映画「ラストソング」について。。この映画は、バンドで夢をかなえようとする若者たちが主人公。

このバンドのギタリストが特別な才能の持ち主であることが、東京に向かう過程で徐々に周囲に明らかになっていきます。他のメンバーとの実力の差は圧倒的でした。

実は彼の才能には、メンバーは皆、気が付いていて、元のギタリストをやめさせてまで、彼を加入させた経緯がありました。

夢では埋められないもの。。それが現実のものとして、彼らに突き付けられます。結果、吉岡秀隆演じるギタリストはソロとして夢をかなえていきます。

本木雅弘演じるボーカリストは、夢破れ、故郷へ。。と、そこで待っているはずの、元のギタリストは不慮の事故ですでに彼方へ旅立っていっていました。一人。。完全な独りで、彼は夜の浜辺を歩きつづけます。

同じ時刻、、、、吉岡秀隆演じるギタリストのライブが始まっていました。そして昔の仲間に捧げるかのように「ラストソング」を奏でます。


「上京」の果てに

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