見出し画像

父と蕨(わらび)

私は毎年5月になると、年に1度だけ作る料理があります。

それは「蕨(わらび)と油揚げの煮びたし」です。

昨日、店頭でわらびが売られていたのを見つけました。
「あ~、今年も一度は食べとくか~」
という、なにか遠いところから呼ばれるような感覚で、わらびの束を購入して煮びたしを作りました。

わらびには強烈な思い出があります。
私が高校生の時に他界した父との思い出です。

昭和ひとケタ生まれ、鹿児島出身の父は、幼少期から食べるものについては自給自足をする生活だったようです。
父は成人し関西に住むようになり、私も誕生し小学生になった頃には、お肉も野菜も店頭で買えるようになっていたのですが、それでもある程度の食料の自給自足は続きました。

父は5月になると恒例の「わらび取り」に山に入りますが、小学生の私も手伝わされました。
山菜が伸びる頃の山に入ると、手を延ばせばポキポキといくらでもわらびが取れました。

父と一緒に山に入ってわらびを取るのは楽しかったのですが、30キロほど米が入る大きな米袋にわらびがいっぱいになるまで取り続けるのです・・。

手が汚れないように軍手をはめてはいても、これだけわらびの茎をぽきぽきしていると、山菜の独特の粘り気と濃い緑の渋みが、軍手を通り越して素手にしみ込んできます。
あく抜きされていないわらびの匂いも体中にまとわりついて離れません。

米袋いっぱいにとれたわらびを持ち帰ると、母があく抜きのためにわらびを灰で煮ます。

家の中もわらびの匂いがまん延してました。

近所の方にも、お裾分けをしますがかなりの量のわらびを家で消費することになります。

小学生の子供で山菜が大好物なんてあまりないと思うのですが、私も例にもれず山菜を食べるのは苦手でした。
小学生にとって、山で採取する楽しさと食事はまったく別の話です。

しかし、それだけ大量のわらびがあるので、毎食何かしらでわらびを使った料理があります。
感覚的には2週間以上は、わらび料理が連続で食卓にあった気がします。

「またか~、まだあるんだぁ~、わらび~」
苦手だけど食べないとわらびは減らないし、減らないと明日もまたわらびご飯だし・・・
(´;ω;`)
子供の頃、5月は毎年このような悶絶の繰り返しでした。

無口な父との楽しかった共同作業の思い出と、辛かった「毎日わらび」の思い出です。



おとなになって、しばらくわらびを食べる機会はありませんでしたが、数年前にふと店頭でわらびを見つけて父を思い出しました。
「自分でわらびの煮びたしを作ってみよう!」

母がやっていたあく抜きを思い出し、作り方はネットで検索!

数十年ぶりに生から調理したわらびを食べたときには
「あれ!こんなに美味しかったっけ??」
と驚きました。

注釈:けっして私の調理の腕前が良いわけではありません・・。
単純な煮びたしですので・・・。

おとなになって味覚が変わることはよくあると思います。
子供のころ好きでなかった食材が美味しく感じられるとか。

いつを境に変わるんでしょうね?
ほんとにお酒が美味しいとわかる頃なんでしょうか?
(#^^#)


そして、近年は5月に店頭でわらびを見つけると、
「さて今年も一回は作っておくかっ!」
と、父や田舎の風景・においを思い出しながら、台所でわらびのあく抜きをしています。

けんかもいっぱいしたけど、父と楽しかった思い出は今でも私の心のひだに見え隠れしているんでしょうね。


画像2


画像3


もう一度、わらび取りに行きたいな~と思っています。
(*´ω`)

皆さんに支えられて、noteを継続することができています (^-^) これからも皆さんの応援ができたり、ほっこりしていただける発信をしていきたいと思っています。