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つれづれ日記 08 忘れ得ぬ、ふたつの仕事

昨夜、昔つくったテレビ番組の作品リストを久しぶりに見て、特に懐かしい二本の仕事を思い出した。
'91年につくった木曜ゴールデンドラマ『逆転無罪』(読売新聞大阪社会部著『逆転無罪』講談社刊)と、'95年フジテレビのドキュメンタリー『完全無罪 冤罪はなぜ起きたのか?』(小林道雄著『夢遊裁判 なぜ自白したのか』講談社刊)である。

どちらも書店で偶然見つけた本を読んで、作品化を思い立ったものだ。
当時は、ラブストーリーや家族の話を扱った小説よりも社会派ノンフィクションばかり読んでいた頃で、冤罪事件には特に強い思い入れがあった。

ドラマ『逆転無罪』は、1979年に大阪府貝塚市で起きた27歳の女性の強姦殺人事件を題材にしている。
畑のビニールハウスで、帰宅途中の被害者が何者かに襲われ、強姦されたあと、絞殺される事件が起きて、近くに住む5人の少年が犯人と疑われ、逮捕された。
その後100回を超える裁判の末、懲役10年の判決を受けた18歳の少年の一人が、大阪拘置所から読売新聞の社会部・司法記者クラブに書き送った無罪を主張する手紙。その一通の手紙をきっかけに、新聞記者たちのした熱心な真実の追求によって少年たちの無罪が確定するまで、ゆうに10年を超える歳月が過ぎていた。
ドラマでは、主人公の新聞記者を故・林隆三さんが演じて、その月のギャラクシー奨励賞を受賞した

あの作品で出会って以来、たいへん仲良くさせていただき、その後息子さんも紹介してくださった林隆三さんが、あんなに早く亡くなられてしまうとは思ってもいなかった。本当に残念でならないが、息子さんとは今でもFacebookでときどき会話させていただいている。

ドキュメンタリー『逆転無罪 冤罪はなぜ起きたのか』は、ジャーナリストの小林道雄さんが著書『夢遊裁判』に書かれた、1981年に大分市のアパートみどり荘で起きた18歳の女性の強姦殺人事件である。
その事件でも、アパートの隣に住んでいた25歳のホテルボイラーマンが逮捕され、一審で無期懲役の判決を受けていた。
小林道雄さんの著書は、Kさんが無実の罪で獄につながれて12年後、彼の無罪を信じる大分の弁護士たちや、地元の支援者たちの闘いの様子が、事件の真実を検証する詳細なドキュメントとともに書かれたものだ。

私が『夢遊裁判』を読んで、著者の小林さんに取材を申し入れた頃、Kさんはまだ獄中につながれた全国の無期懲役囚の一人だった。
事件から14年が過ぎ、近々、彼の仮釈放と福岡高等裁判所での二審が予定されていたものの、まだ無罪となる保証は何もなかった。
もし二審も有罪のままという結果になれば、私がつくったドキュメンタリーをテレビ局は放映することなく、お蔵入りとなってしまう。

それでも、原作者の小林道雄さんや大分弁護士会の12人の弁護団の方々にお会いして、私はKさんの無実を信じることができた。
小林さんが「いまの日本の司法は、無実の人が無罪となるわけではないんですよ」と言われても、もう後には引けないとKさんの仮釈放の日を待って、カメラマンの阪本善尚さんとの大分通いが始まったのだった。

幸いにして、二つともに冤罪だったことが控訴審で証明されたが、その二つの事件にはいくつかの冤罪事件ならではの共通点があった。
・いずれも地元に暮らす無力な少年が、警察の見込み捜査によって早々と逮捕されたこと。
・少年たちは逮捕された後、「代用監獄」と言われる過酷な取り調べで、無実の少年たちが自白を迫られ「虚偽自白」に追い込まれていったこと。
警察が逮捕し検察が起訴した事件が、司法によって覆されるのは難しいという、日本の警察と司法の問題点と、警察発表を垂れ流すだけの報道によって、世間の人びとが、そして裁判官までもが犯人に違いないと思い込んでしまう恐ろしさ。
・裁判にかかる時間の長さで、少年たちは人生で一番輝いていたはずの青春を、何年もにわたって獄に繋がれ、自由を奪われたこと。
冤罪事件は真犯人を見つける可能性を奪うという意味で、二重に被害者の家族を苦しめること。

私がテレビ時代に携わった45本の作品のなかで特に思い出に残る仕事が、そんな二つの冤罪事件を扱ったものだった。
それらの仕事では、著者のジャーナリストや弁護士さんたちとの貴重な出会いに恵まれ、その後も細々ながら、いいおつきあいが続いている。
それらの出会いは、手がけた沢山のドラマ作品での監督や有名俳優との出会いでは得られないものだった。

大分のみどり荘事件の冤罪被害者Kさんは、39歳のときに無罪を勝ち取り自由になって、長い間、彼の支援団体に所属していた女性と結婚することができた。私と小林さんが大分で行われた結婚式に招いて頂いたのも、忘れられない思い出だ。

そのKさんの裁判で闘い、彼の無罪を勝ち取った12人の弁護士さんたちは、一審で無罪にしてあげられなかったことに責任を感じて「どんな容疑者も逮捕直後から弁護士がついて話を聞くことの必要性」を訴え、今では当たり前になっている「当番弁護士制度」も、このときの大分弁護士会の発案で始まったものだ。

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