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つれづれ日記15 恋するように、テニスを愛す

去年の全米オープンを最後に、とうとう丸一年もお預けだった錦織圭の試合がやっと見れると思うと鼻の奥がツンとなるほど嬉しい。
2008年にデルレイビーチで初優勝をしてたのが18歳のときだから、もう12年も錦織圭君とともに生きてきたわけだ。
彼に故障がなく、また新型コロナのパンデミックが始まるまで、ATPツアーは1月の全豪オープンから11月のATPファイナルズまでほぼ1年を通して、毎週、世界中を移動しながら転戦を重ねていくスポーツなので、私にとっても彼の応援がほとんど日常となっていた。しかもスポーツ・ファンの常で、試合中継はリアルタイムで見るのというのが鉄則なので、錦織君が活躍している限り、アメリカの試合もヨーロッパの試合も常に深夜の観戦で、私は慢性の寝不足だった。

上の写真は、2014年の全米オープンでNo.1のノバク・ジョコビッチに勝った瞬間の歓喜の瞬間である。この大会で準優勝に輝いた感動は、今でも忘れられない。
日本人は体力的に明らかに劣るのに、たしかあの時の全米でも、ラオニッチやワウリンカなどといった屈強な大男を、連日4時間半や5時間にも及ぶ試合で打ち負かして勝ち上がり、準決勝でジョコビッチに勝つと、もう決勝を闘うだけの力は残っていなかった。そういう彼のテニスに向かう姿を見ているのが好きなのだ。
もちろん勝つのに越したことはないのだけど、たとえ負けたとしても、錦織圭が戦いに挑んでいる姿を見ていれば、私は幸せな日々を送ることができる。

負けず嫌いで、どんなに追い込まれてもけっして諦めない精神力や、テニスをするために生まれてきたような才能の持ち主などは、誰もが認めるところだが、彼のテニスの魅力は何といっても「豊かな創造性」にある。
あの小さい身体で、世界4位まで登りつめることができたのも、ニシコリならではの、相手の意表を衝くプレイの意外性とオリジナリティがあるからだろう。

やっと錦織のテニスが見られると思うとワクワクする気持ちを抑えることができない。そして、どうか1日でも長く現役でいてくださいと願わずにいられない。

そう、考えてみれば私は、錦織の前にも長いこと、沢山のテニス選手に、ほとんど恋をするように夢中になってきたのだった。
たとえばイギリスのステファン・エドバーグなどは、きっと彼の貴公子のような美しさに参ってしまったのだろう。

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