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古い写真はタイムマシン

7月25日土曜日、くもり時々すごい雨。

昨日は写真整理に手を付けた。実家にあったアルバム類が今、めぐりめぐって私の家にある。母を看取って1年、古い家族写真をデジタル化しようと思いながら手を付けられずに、あっという間に時間が過ぎた。

昭和30年代に撮影された若かりし頃の父や母の写真。笑ったのが、両親の結婚式の写真が、写真館の袋に入ったままになっていたこと。そのうち整理しようと思って、60年ぐらいそのままになっていたものらしい。整理が苦手な母らしい。ほかの写真も整理できていなくて、年代もバラバラにポケットアルバムに収められたりしている。

デジタル化を業者に頼むつもりで、とりあえず分類し始めたけど、あまりの大変さに早くもくじけそう。こういうのは年代別にすればいいのか、シーン別にした方がいいのか。放っておくと写真はどんどん色あせるから、その前にやってしまいたい。

それにしても昔の写真はやっぱり面白い。もう二度と戻らない時間がそこに焼き付けられているから。今は亡き両親、子供の頃の自分、取り壊された実家。その実体はもうどこにも存在していないのだと思うと、とても不思議な気持ちになる。

子供の頃の私は背が高くてやせていて、そのことでいつもいじめっこたちに攻撃されていた。そのため容姿に関する自己評価がとても低くて、自分に自信が持てないまま大人になった。でも、いじめられていた当時の自分の写真をいま見ると、まあまあ、かわいいじゃないの。

タイムマシンがあったら、当時の自分のところへ行って「大丈夫、十分かわいいよ!」って言ってギューしてあげたい。というか、そんなシーンをイメージしたら心が癒されたみたいで、目からちょびっと水が出た。写真自体がタイムマシンだったらしい。

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上の写真は赤ちゃんだった弟と下の兄と私。小学校3年生ぐらいかな。小学生時代の私は髪を左右二つに結んでいて、今風に言えばツインテール、昔風に言うと「ウルトラの母」の髪型だった。

ある朝、学校に行こうとする私を母が「ちょっと待ちな」と呼び止めた。その朝、たまたま私の髪が伸びていたのが気になったのだろう、母は私の髪をつかんで、束ごとジョキッ、ジョキッとはさみを入れた。「はい、行って良し」。私はそのまま学校へ向かった。

その日の登校途中…私の後ろから女の子たちの笑い声とヒソヒソ話が聞こえてきた。
「ねえ、あの子の髪、左右で長さが違くない?」
「ぷっ、本当だ」
くっ、屈辱的…。私の顔はカーッと熱くなった。

ひどいよ、お母さん。切るならちゃんと長さそろえてよ。今思い出しても、これはひどい。おおざっぱにもほどがある。

とまあ、これがうちのお母さんクオリティ。母にまつわるこういう話は枚挙にいとまがない。今は笑い話にできるけどね。

今日の夕方。山裾に雲が降りている。こんな低い雲は初めて見た。

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