ぼくもまた、少年H
こんな一節なら、多くの人は何気なく読みすごすでしょう。でも、ぼくは違うんだな。身に覚えがあるから。
ぼくが通っていた小学校では、互いを呼び捨てにすることは許されていませんでした。男ならクン、女ならサンで呼ぶこと。それから、オレはダメで、「ぼく」、「私」と言うこと。
以来ぼくは、人を呼び捨てにすることができません。オレと言うことができません。中学に入って愕然としたのは、友達が次々と昨日までの自分を捨てて、ぼくを呼び捨てにし、自分をオレと言い始めたことでした。
ぼくはそんなふうに自分を変えることができなかったから、少しずつ友達から離れていってしまって、今は一人。だから、Hの「努力」がよくわかるんです。
妹尾河童さんの『少年H』はそのすべてが、ホンの小さなエピソードまでが深すぎて、語りつくし汲み尽くすことができないけれど、彼の素晴しいお父さんに触れないわけにはいきません。
森有正があるところでこんなことを書いていました。双脚を失いながらも刻苦勉励、見事に農夫として自立した生活を送ったある人物に触れながら、フランスにはこんなふうにデカルトを読む必要のない人間がたくさんいるから、一人のデカルトが生まれたのだと。
Hのお父さんの生き方や考え方を読んで、ぼくはこの挿話を思い出していたのです。もちろんここで森は、フランスを単純に賛美しているのではなくて、優れた思想、あるいは文化・伝統の生まれる背景を語っているのです。突然変異的に成立する思想なんてないって。
Hのお父さんは、学者でもなんでもないごく普通の庶民=洋服の仕立屋さんだったけど、まるでデカルトのような人だったんです。大学で勉強したからではなく、原書を一生懸命読んだからでもなく、現実を見据えて毎日を「よく」生きたから、彼はデカルトを読む必要のない人間になったんです。
ぼくもまた、一人のデカルトを生み育む大地になれるだろうか……『少年H』をまだ読み続けながら、そんなことを考えています。(1997.5.4)