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008. イノベーションとは 「平均」の否定である

イノベーションに必要なことは、市場調査やリサーチによる世界の「平均的な把握」ではない



大量生産・大量消費の時代においては「平均的な把握」は有効であったかもしれない。

「共同幻想」として1つのライフスタイルをみんなが目指していて、「三種の神器」として1950年代には白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫が、1960年代にはカラーテレビ・クーラー・自動車が、目指すべき目標のように語られた。

生活に必要なモノがまだ十分に揃っていなかったから「共同幻想」が成立したのだ。



一方、現在は生活に必要なモノはあふれていて、廉価で揃えることができる。Z世代はそんな時代にうまれ、モノに困ることがなかったがゆえに、消費の判断基準が「自己実現・自己表現」へと変化した。

消費の判断基準が個々人の価値観へと変容した現在においては、共同幻想は成立しない。大量生産されたものはレッドオーシャンで価格競争に晒され、100円ショップに並ばない限り消費されない。

自分のライフスタイルというストーリーをどう彩るかで消費が判断される。つまり、マイクロコミュニティごとに消費されるものが異なるますカスタマイゼーションが必要な時代へと変化したのだ。



その時代において、イノベーションはありきたりなマーケティング手法による「平均化」したデータから答えは導き出されない

誰かたった一人の「当たり前」への違和感と、その違和感を深掘りした時に辿り着く「ディープイシュー」と、それへの解決策の「インスピレーション」。その課題を解決しなければと居ても立ってもいられないほどの「衝動」。

それをクリアにした先で思い描かれる圧倒的な「ビジョン」とそれに対する自分の使命感としての「ミッション」。

そこにいる「シンボリックカスタマー」を愛し、「エヴァンジェリストカスタマー」とより良い関係性が築けるような寄り添う心。

そして、ディープイシューをクリアにするソリューションやプロダクトの「閃き」。



それはまさに「アート」なのだ。自らの心の中に深く潜り込むことでしが為し得ない。

市場調査やリサーチは「ロジック」を強化するためにやるものだ。それらはアートをうまない。

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