コロナショックは「第2の認知革命」となり、人類は未来の扉を開くか
コロナショックが、世界を不可逆的に変化させた結果、人類は、世界は、社会はどう変わっていくのか。
本稿は、アフターコロナ、ウィズコロナによって変化する「社会構造」について考察する。
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なぜ人類が地球上で最も繁栄する存在となったのか
私たちの祖先であるホモ・サピエンスは、誕生当時アフリカ大陸では弱者でした。捕食者に怯えながら細々と暮らしていました。
今から約7万年前にある力を手に入れた時、他の人類を絶滅に追い込むに至りました。それを後世の私たちは「認知革命」と名付けました。そこでホモ・サピエンスが手に入れた力は「想像力」です。
虚構すなわち架空の事物について語る能力とそれを集団で伝達する力を手にしたとき、私たちは未来を想像し、それに備えることで複雑な社会を形成することができたのです。
未来を予測することが、私たちを地球上で最も繁栄する存在へと至らしめました。
集団の繁栄は、個体の幸せに結びついているか
認知革命以後、集団としての繁栄を手にしたわけですが、果たして個体として「幸せ」になったといえるのでしょうか。
人類一人一人は、狩猟採集時代から農業革命、科学革命そして幾度とない産業革命を経て手に入れたものは、より長い働く時間と得られる配分の減少、そして貧富の差でした。
集団全体や一部の権力者たちは豊かになっていきましたが、一人一人はむしろ不幸になったともいえるのではないでしょうか。
人類は、農業革命ののちは小麦の奴隷となり、第1次産業革命ののちは機械の奴隷となり、第3次産業革命ののちはコンピューターの奴隷となり、第4次産業革命ののちは情報の奴隷となりました。
人類が発展しているようにみえて、実のところ一人一人は「生産活動」の奴隷として生きているのです。
集団の繁栄は、固体にとっては虚構であり、詐欺であったのです。
現在、地球全体に存在する人類が営む経済のパイは人類誕生以来はるかに巨大に成長しましたが、個体からみればすでにコントロール不能に陥り、その分配はあまりにも不公平です。
「たったの62人の大富豪が全世界の半分の富を持つ」とも、「世界の富の82%は1%の富裕層に集中」とも、「8人の大金持ちは、世界人口の半分と同等の資産を持っている」とも言われています。
発展途上国の労働者が1日に稼いで手にする食料は、500年前の祖先よりもはるかに少ないのです。
度重なる社会変革の果てに、人類が手にしたもの
約7万年前、認知革命によって想像力を手に集団行動を加速させました。
1万2,000年前、農業革命によって農業技術と経営方法を発展させ、資本主義の基礎を築き上げました。
500年前、科学革命によって無知の知を手に、超自然的な世界観を克服し、自然科学によって世界を解き明かしました。
18-19世紀、第1次産業革命と呼ばれる工業革命によって、水力・蒸気機関を手に機械を利用し始めました。
19世紀後半、第2次産業革命によって、電力・モーターと動力を革新し、また電気制御と統計的手法によってより効率的な生産方法を見出しました。
20世紀後半、第3次産業革命によって、コンピューターを手に入れ、自動化が進み、労働力の機械への置き換えを推し進めました。
21世紀、第4次産業革命と呼ばれる情報技術革命、情報通信革命、そして情報革命によって、アフターデジタルを迎え、ビッグデータ・AI・ロボット・IoT・クラウドで大量の情報を基に人工知能による自律的・自動的な最適化が為されました。
あれほど弱く脆い存在だった人類が地球上最も繁栄した生物になったのは「人類は道具によって自らを進化させる生物」だったからです。
人類は道具を使うことで急速に文明を進歩させてきました。
動物は道具が使えません。その代わり、遺伝子を変化させることで環境に適応します。ウイルスや単細胞生物であればなおさら簡単に遺伝子を変え、素早く環境に適応していくのです。
しかし、複雑な生物ほど遺伝子を変える変化の速度は遅くなります。そこで人類は道具を使いました。道具によって生物としての肉体の限界を取り払い、進化を遂げることに成功したのです。
それも全て「認知革命」によって得られた想像力が、虚構すなわち架空の事物について語る能力としてビジョンを描くことで、思い描いた未来像を実現するに至ったわけです。
資本主義の果てに
そして現在、資本主義(共産主義の果ての社会主義市場経済も含む)、そしてグローバル経済は、集団としての人間をさらに繁栄させ得ることができますが、同時に個体の幸せはより希薄化していくことでしょう。
今でも満員電車で通い、企業の歯車として働くことは、農耕社会の名残であり、奴隷そのものです。
個体としての幸せを追求できないにも関わらず、何千年も続いた社会規範を捨てられない矛盾を人間は抱えています。
コロナショックが人類にもたらしたもの
2020年、新型コロナウィルスはその社会規範を見事に打ちこわしました。
これまでの度重なる社会に対する「革命」によって捨て去ることができなかったものを、捨て去ざるを得ない環境に追いやったのです。
それは集団としての繁栄を効率的に合理的に進めるための密集することで発展を望む「都市」そのものです。そしてその根幹にある「資本主義」「貨幣経済」です。もとはといえば貨幣そのもの実体のない虚構でした。
コロナショックは「第二の認知革命」となり得ます。
集団としての繁栄が同時に大きなリスクを孕むものであることが、まざまざと現実に突き付けられています。
そして、理想像として描かれながらも誰も推し進めることができなかった、「デジタルトランスフォーメーション」や都市集中から「地方分散」、「テレワーク(場所や時間にとらわれない柔軟な働き方)」などは、コロナが後押しをすることとなりました。
今人類は、集団としての繁栄の追求が必ずしも個体の幸せへと繋がらない矛盾に、社会全体として気づくこととなったのです。
これまでの社会規範を捨て新たなステージへと、人類と社会が発展的な破壊的進化を遂げるきっかけが「コロナショック」なのです。
今ボクたちは何をすべきなのか
我々人類が今為すべきことは、コロナショックという未曾有の危機への対応だけではありません。それに終始してしまっては、この変化の渦に飲み込まれてしまいます。
新たな未来への扉が不可逆的に開いたことを自覚し、その未来において人類がどうあるべきか、社会がどうあるべきかを見据えることが必要です。
そして、企業・組織のミッション、個人のミッションがその不確実な、されど戻ることのない未来においてどうあるべきか、今一度考えるべき歴史の転換点に生きていることを自覚することが必要なのです。
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参考文献
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