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「逃げ学のススメ」 〜人生、逃げるが勝ち

こんにちは。ピンキーです。

荒井宏之と申します。ピンク色がトレードマークで、いつもピンク色の服を着て、ピンク色の小物を多く持っているので、いつからかピンキーと呼ばれ、ピンキーと名乗っています。

経営コンサルタント、新規事業のディスカッションパートナー、新規事業のプロセスマネージメントコンサル、人材育成研修の講師、スタートアップ起業家のメンターおよびエンジェル投資などを生業としています。また、それをサラリーマンとして、自分の会社としてやる複業家でもあります。

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ボクは若い頃からよく、意識高い系と、ジョブホッパー(転職回数10回、平均勤続年数1.5年)と、バカにされてきました。37歳になった今でも時々陰口を叩かれている話が耳に入ります。

確かに、そうやってバカにされるようなキャリアを歩んできたと自認しています。辛いことからすぐに逃げ、結果が出ないとすぐに逃げ、結局新規事業のチャレンジの回数は多いものの成功事例はただの1つもありません。ボク自身もその状況に悩んだ時もありました。

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フジテレビに密着取材を受けるほどの「意識高い系」

しかし、今やそのバカにしてきた人たちと比べると、明らかに人生を楽しみ、収入も多い状況になり、一定程度の成功を収めることができました。もちろん貪欲にさらなる高みを目指しています。

「辛いことから逃げるべきではない」

そういう価値観からすると、ボクの生き方、働き方はダメなものです。しかし、ボクはこれまでの人生を振り返った時に、その価値観を否定するところで一定の成功に辿り着いたのだと考えました。

「人生、逃げるが勝ち」

もし今逃げることに躊躇していて、その理由が周りから「逃げずに頑張れ」と言われていることが理由なんだとしたら、そんな人に「逃げてもいいんだよ」とそっと背中が押せたらいいな、と思い、筆をとりました。

逃げ続けても一定の成功には辿り着ける。ボクの人生を曝け出すことが、誰かの勇気に繋がるのであれば幸いです。

以下、6,764文字
読了時間:約15分

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「組織で働く」と「スタートアップする」

組織というのは、端的にいえば「目標達成のために必要な役割を細分化し、各人がその細分化された目標を達成することで、組織の目標達成ができるように仕組み化すること」だと考えています。

一人ひとりの能力の多寡やその想いに関係なく、一人ひとりに役割を付与する。つまり一人ひとりを歯車化することで、最大限の価値創造と売上・利益の創出しているのです。

そして、それを大規模に仕組み化しているのが大企業です。

「組織の歯車」というと悪い意味で使われることが多いですが、大企業が大きなビジネスを展開し、大きなお金を動かしているという意味においては、一つ一つの歯車は当然重要なわけですから、必ずしも悪い意味だけで捉える必要はありません。

組織で働くということは、つまりは一人ひとりが「時間」を労働として提供し、その対価として給与収入を得ています。歯車になることで個人のリスクを最小化し、安定した生活を送ることがそのメリットでしょう。

一方、スタートアップは、時間を投資し、それによってゼロから大きな価値をうんで、大きなリターンを得る。ハイリスク・ハイリターンの世界です。

しかし、それはあくまでスタートアップの起業家や共同創業者だけであって、単にサラリーをもらってスタートアップで働くだけでは「組織で働く」ということと違いはありません。

あえていうならば、ミドルリスク・ミドルリターンがスタートアップで歯車で働くということです。会社が成長できなかったり、倒産してしまって仕事がなくなるのがミドルリスク。大企業よりは給与が上がりやすかったり、イグジットによって大きなキャッシュリターンがあるのがミドルリターン。

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「組織で働くこと」が肌に合わなかった

ボクはスタートアップを転々と渡り歩いてきた経歴で、ついに10社目への転職となりますが、転々としたのも、複業を始めたのも恥ずかしながら「組織で働くこと」が合わなかったという「逃げ」です。

組織で働くということは、ボクにとってはある意味「個を殺す」ということでもありました。

ボクは、自分が向き合った物事に対して、その存在意義や理由を深く考え、それに対して自分なりの向き合う理由を見出す、という性質を持っております。

自分の想いと組織的に求められる役割がぶつかったときに、ボクは自分の想いを曲げたり、殺すことができずに、組織から離れることを選択してきました。

もちろんすべての組織の「歯車」が「個を殺す」ということではありません。ボクのこのめんどくさい性質と、これまでいた組織が歯車に求めるものが合わなかったというだけだとは思います。

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人生をかけて熱中できるものを探して

組織人として働くことが合わないのであれば、それは「個人」として働くしかありません

そのために、自分に合う働きかたを追求し、自分のブランディングを考え、そのうえで自分のやりたいことのみに自分の時間を注力する。その試行錯誤の一つの終着点にあったのが「副業」でした。

そこに至るまでにもうひとつのボクの性質が影響しています。それは「興味・関心が常に多岐にわたる」ということ。

小さい頃から好奇心は旺盛なタイプでした。何にでも興味を持ち、興味を持ったらやらなければ気がすまない。けれど飽きたと感じたら、未練なくスパッと辞めてしまう。

周りからはネガティブに「飽き性」という評価を受けることは多いですが、自分にとっては本当に自分が熱中できるものを見つけるための「仮説検証」なのです。

「副業」をはじめたのも小さいときのこの感覚の延長線上にあります。自分自身の興味関心の変化にしたがって、今一番熱中できるものを、そしてその後の人生すべてをかけて熱中するものを見つけるために「仮説検証」を繰り返しています。

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 「分人」として働くための「複業」

その「仮説検証」の結果としていきついたのが「副業」ではなく「複業」として働くということ。

人生すべてをかけて熱中するものが1つでなければならないというのは誰が決めたのでしょう。それは固定観念にすぎません。それが複数あってもよいのではないか、という結論に達したのです。

ボクにとって「仕事」は、お金を稼ぐために我慢してするものではありません。短い人生の、限られた時間を投資して、人生を楽しむためにするものです。興味関心が多岐にわたり、常に変化するボクにとっては、仕事を1つに絞ることは、ある意味苦痛でしかありませんでした。

「自分」という「個人」は、決して1つの側面だけではあるわけではない。「分人」という概念がボクには、すごく当てはまります。

今では、「経営コンサルタント」としての自分、「新規事業のディスカッションパートナー」としての自分、「新規事業のプロセスマネージメントコンサル」としての自分、「人材育成研修の講師」としての自分、「スタートアップ起業家のメンター」としての自分、「エンジェル投資家」としての自分と、「分人」ごとに熱中するものがあり、そのすべてを仕事として「複業」することによって、人生を最高に楽しんでいます

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人生、逃げるが勝ち。

結局のところ、人から見たらネガティブな評価を受けるであろうジョブホッパーを繰り返し、ある側面からみれば辛いことから逃げて続けてきた人生です

しかし、他人からどう評価されようとも、ボクは今この瞬間が人生で一番楽しい時間を過ごせています

「辛い」と感じているということは、それは自分の人生の意味を見つけ、人生を楽しむための仮説検証をしているに過ぎないと思うのです。

辛く感じる要因がわかったなら、それを排除すればいいのです。そして、楽しいものだけ集める。その仮説検証を繰り返せば繰り返すほど、純粋に人生を楽しめる結果が待っています。

「人生、逃げるが勝ち」

逃げた先の「副業」が「複業」になり、結果的に人生を楽しんでいる。計画的な人生を歩めていませんが、行き当たりばったりでも十二分に充実した人生を歩めています。

他人と比較することに意味はありません。自分の価値基準はすべて自分の中にあればいい。ボクはボクの価値観に沿えば、今人生「常勝」です。楽しくて仕方ありません。

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「躓き」はあるが「しくじり」はない

確かに、人生を振り返ると「躓き」はたくさんありました。しかし、それらはボクにとっては「しくじり」ではありません。

・エンジニアとしての高みを目指して始めた新卒キャリアで、早々に自分の限界を感じてエンジニアを諦めたこと

・会社のビジョンの実現のためにプライベートを投げ売って全力を注いでいたら、信頼していた上司に突然梯子を外され、マイナス評価を受け仕事を干されたこと

・自分とはまったく関係のない人の、関係のないプロジェクトの責任をとらされ、評価を下げられたこと

・新規事業の仕込みがうまくいき、さあまさにこれからだ!というときに、先を読む力が甘く、市場環境の変化によって何もできずに撤退せざるを得なかったこと

・考えを押し付けるタイプの上司と、考えがまったく合わず、何をやるにしても噛み合わず、成果が出ているのに認めてもらえなかったこと

・信頼していた人に、自己中心的な理由でいとも簡単に裏切られたこと。それによって金銭的な損失を被ったこと

などなど。

これらは確かにエピソードとして「しくじり」と捉えれば「しくじり」なんだと思いますが、ボクにとってはこれらは「躓き」であれど「しくじり」ではありません

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「人生、逃げるが勝ち」に「負け」はなし

もちろんその「躓き」からは、それぞれ自分なりに振り返りはしていますし、そこから学んだことはたくさんあります。

しかし自分の中ではそれを「しくじり」として定義していないのです。何故ならば「人生、逃げるが勝ち」だから。

もちろん、それは単なる言葉遊びかもしれません。

「しくじり」とは失敗という結果のこと。
「躓き」とは成功への過程ということ。

自分の人生にとって大事なのは、他者からの評価ではありません。

大切なのは、自分自身と自分の家族が幸せであること。幸せであり続けること。

すべてはそれを実現するために必要な「過程」でしかありません。その過程の「躓き」は、そのすぐ先に「乗り越えた」というポジティブなものとして自分に刻み、人生を歩み続けています。

そう。

「人生、逃げるが勝ち」に「負け」はないのです。

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何から逃げているのか

そもそもボクが「逃げ」とネガティブな評価を受けている理由は、「道」の追求を好む日本人の特性にあると考えています。

ここでいう「道」とは、100万分の1の価値を持つ人材を目指すとき、頑張って100万分の1を目指し、地道にコツコツ頑張るという真正面の玄関から進むこと、という意味で使っています。

100万分の1の価値を持つ人材がいるということは、その裏で99万9999の夢が破れているということです。しかしその99万9999には触れずに、100万分の1の人がした真正面の玄関からの努力を褒め称え、「皆あのように努力をしろ」と教わります。

しかし、大半の人は99万9999になるということは事実です。

またもっと大袈裟にいえば、1億分の1のイチローのような求道者なら、9999万9999の夢が破れている。

ボクは、その「夢破れたその他大勢の者」になることから「逃げ」ているのです。「道」の追求は、ウィナーテイクオールです。100万分の1になれば価値を発揮できますが、夢破れたその他大勢の者は、それが価値とならず、そういった人たちに使われる歯車側にしかなれません。

「道」の追求を、地道にコツコツ頑張るという真正面の玄関から進むことを良しとする人たちは、そのリスクを考慮せず「頑張る」ことを他者に強要します。ボクはその他者からの「頑張る」ことの強要から「逃げ」ているのです。

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逃げ続けた結果の副産物は、失敗経験

もちろん、逃げた「だけ」であれば、「夢破れたその他大勢の者」になることと同義で、しかも逃げ続けているボクの人生はゴロゴロと転落していったのだろうと想像します。

しかし、ボクは今、複業家としてサラリーマン時代よりも大きく「稼ぐ」ことができています。プロとして生きている以上、稼ぎは評価です。つまり、ボクの価値は市場が評価してくれているといえます。

なぜ「逃げた」だけの人生を歩んだボクが、人生の「質」だけでなく「金銭」的にも勝つことができたのか。

それは、経験を掛け算できたからです。

ボクの強みは「失敗経験」の多さです。

新規事業に取り組んだ数はプロパーの正社員のほとんどよりも多いでしょう。そこで数多くの失敗をしました。いや、大ホームランは結局打てていないので、全てが失敗と言えなくもないかもしれません。

マネージメントでも多くの失敗をしました。成果を出して天狗になっている時に「なんで俺がやっているようにできないんだ!」なんて多様性ガン無視のパワハラまがいの発言をしちゃったりしてました。当然部下の心は離れ、成果も上がらないチームを作り上げることになりました。

経営でも多くの失敗をしました。経営戦略や組織制度を作ることに苦心し、出来上がったものは、社員のことなど考えておらず、あるべき理想論を振りかざし、結局運用ができない無用の長物が出来上がりました。

広報や人事、デジタルマーケティング、商品企画、ブランディングなども未経験からチャレンジしました。当然、何もわからないまま本や書籍から得た知識だけで頭でっかちになって、いざやってみると失敗しかしませんでした。

ボクが今市場から評価を得ているのは、これらの失敗経験を「ああ失敗した」という結果だけにとどめなかったことです。

それらの失敗を科学し、もし次に同じ状況になったらどうすればいいかを考え続けました。そのリフレクションによって、失敗確率を下げる方法論が蓄積していったのです。

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「逃げ」とは、道の追求の「裏口」を探すこと

「逃げ」から得た失敗経験の蓄積により、オンリーワンの経験を手にオンリーワンの人材になったのです。

それは100万分の1を正面玄関から頑張って追求したのではなく、こっそりと入る裏口から100万分の1になったということです。

100万分の1を目指す方法は、100万分の1を純粋に追いかけるだけではなかった、ということです。

100分の1を3つ持てば100万分の1になり、4つ持てば1億分の1になります。10分の1でも掛け合わせれば1億分の1になるのです。

つまり、逃げ続けてもその経験をきちんとリフレクションし、インサイトを得て、次に活かすことを繰り返せば、誰でもオンリーワンの価値ある人材になれるのです。

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嫌なことを我慢してやる必要はない

ボクらは子供の頃から「嫌なことでも誰かがやるべきと決めたものは我慢してでもやれ」ということを価値観として刷り込まされてきました。親であったり、学校教育であったり。

しかし、本当に「我慢してやる」ことは、正しいことなのでしょうか?

子供の頃、好きな科目の成績は伸びました。しかし、嫌いな科目の成績はどうだったでしょうか。よほど努力しない限り、いや努力したとしても、嫌いな科目と比べれば伸びませんでした。その経験は誰もがしているはずです。つまり、もうそこに答えはあるのです。

人は好きなことには夢中になります。夢中になると時間を忘れ没頭します。夢中になるとどんどん、どんどん深掘りしていきます。夢中になればなるほどのめりこんでいきます。

つまり好きなことの方が、何分の1は目指しやすいということです。それが100万分の1なのか、100分の1なのかは、「好き」以外に持ち合わせている肉体的、頭脳的、経験的なものがファクターにはなるため一概には言えませんが、少なくとも何分の1にはなれるはずなのです。

つまり好きなことを掛け合わせていけば、100万分の1や1億分の1は目指しやすいということなのです。嫌いなことから逃げましょう。好きなことだけやりましょう。それが成功への鍵なのです。

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救われた一言

もちろん最初からこんな考えでいれたわけではありません。

人からバカにされれば傷つき、躓けば落ち込み、失敗すれば後悔し、他人のせいにし、自殺さえ考えたこともあります。それぐらい逃げ続けた人生でした。

そこから考えをポジティブに転化させ、自分の生き方は、人生はこれでいいんだと思えるようになったのは、2~3年ほど前。35歳の頃でした。

当時副業・複業を始めたものの、自分としては新規事業なり起業で一本勝負をせずに、成功をしてもいないのに、フラフラしたような仕事の仕方をしていいのか、とても悩んでいた時期でした。

意識高い系とかジョブホッパーとバカにされた人たちに対しても、成果を何か残して見返さすことなく、逃げるように金を稼ぐことだけにフォーカスしようと思えばできるけれど、本当にそれでいいのか、と。

そんなときに気づきを与えてくれたのは、伊藤 羊一さん(Yahoo! アカデミア 学長)からいただいたこんな一言でした。

「荒井くんはそのままでいいんだよ。
そこまでやりきっているならそれは強みだ」

すごく心が楽になり、自分の過去を肯定し、未来に対して自信を持てるようになりました。何気ない会話の中での一言でしたが、それだけで悩みが吹っ切れ、「逃げ学」と言い切ってしまうまで自分の生き方を肯定できるようになれたのです。

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「逃げ学」のススメ

「逃げ学」とは、正攻法ではなく、裏技で自分の価値を高める方法論です。

100万分の1、1億分の1を目指すのであれば、辛く苦しい努力の時間が欠かせません。しかし、誰しもがそれに耐えられるわけではないのです。だから、嫌なことから逃げてもいい。

しかし、ただ逃げるのではなく、きちんとその失敗体験から知見を得るのです。そして、その知見を次に活かせる場所で、またチャレンジするのです。そしてまた辛くなったら逃げればいい。そしてまた知見を手にチャレンジする。その繰り返しが「逃げ学」です。

逃げることは悪ではありません。辛いことから逃げてもいいのです。

しかし、唯一逃げてはいけないのは、自分の人生からです。自分の人生を、自分なりに成功したと思えるまで、逃げ続ければいいのです。

成功するための唯一の方法は、成功するまでやり続けること。成功するまで逃げ続けるのも戦略のうちです。

「人生、逃げるが勝ち」

そう考えれば、もっと気楽に人生を楽しめると思いませんか?

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