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未来へ続く

数日前に子供が椅子取りゲームをしたことを話してくれた時に、何故か浮かない表情をしていた。
そういえば自分が初めて椅子取りゲームをした時にも違和感を感じて、なぜこんなつまらないゲームがあるのかって感じていたことを思い出した。
いろいろと経験し、父親になった立場で改めてよく考えてみたら、参加人数に対して一つ少ない椅子を取り合って、必ず1人が脱落するゲームに違和感を感じざるを得ない。
ちょっとググったら、世界中に同じゲームがあるらしいが、起源はよくわからない。
私が、変なゲームだと妻に話していたら、小1の悠介は、その話が凄く気になったようで「お父さんはその時どう思ったの?」と何度も聞いてきた。
私の解釈では、同じ事を思っていた人がいて、自分の気持ちを言語化してくれたことに対しての驚きを表現したのだと思っている。私も子供の頃同じ心境だったが、その事を言語化してくれる大人は、隣に1人もいなかった。

大多数の人が、その存在をあたりまえに認識しているので、気付きにくいことは沢山ある。
面倒でも自分で調べて思考することが特に重要な時代だなと、ここ2年位の間、切実に感じている。
生まれた時に既にあるものは、それを常識だと思い込みやすく、みんなが受け入れたことで、この世の常識は作られている。
あたりまえと言えば当たり前のことだけど。
未来は自分の意思で作ることができる。
自分が作り出した未来に続く命がある。


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