【オリジナル小説】令和な日々
令和2年9月28日(月)「勉強しなきゃと思っていてもできないのが人間」笠井優奈
「ヒマだな」
アタシの呟きに早也佳が眠そうに目をこすりながら「ヤベーよな」と笑う。
運動会が終わり、ダンス部を引退してから半月ほどが経つ。
なかなか気持ちを切り替えられないまま、こうして放課後の教室にダラダラ残ってしまう。
そこからグラウンドで練習をしている後輩たちを眺めることが日課のようになっていた。
久しぶりに晴れ渡った青空の下でダンス部の部員たちがキビキビと動いている。
ここからでは個々の顔までは見分けられないが、2年生なら動きでほぼ誰だか分かる。
いちばんよく動き回っているのはアタシから部長職を受け継いだあかりだ。
予想以上にグイグイとみんなを引っ張っているようだ。
いつもなら金魚のフンのように彼女について回っているほのかの姿が今日は見えない。
それ以外はいつも通りほかの2年生部員が部長を支え、数の多い1年生部員たちもしっかり先輩たちの指示に従っていることが上から見て取れた。
「しっかりしてるよな」と早也佳がアタシと同じようにグラウンドを見て褒めると、その横にいる和奏《わかな》がうんうんと頷いた。
来週末には中間テストがあるし、そろそろ本格的に受験に取り組まなくてはいけない。
頭では分かっていてもできないのが人間ってものだろう。
アタシたち3人は勉強もせずにこうして時間を潰している。
「あー、もう1年くらいダンス部続けたかったな」と早也佳がしみじみと話す。
「留年すればよかったじゃん」とツッコむと、「優奈や和奏を先輩って呼ぶのは嫌だな」と彼女は苦笑した。
ダンス部を作ったのは去年の今頃だ。
たった1年の活動だったが、本当に充実した日々だった。
部活経験者が少なく、最初は苦労した。
クリスマスイベントあたりから部員たちに自覚が生まれてまとまるようになった。
その後もいろいろと予定は立てていた。
それが一斉休校になり、部活動は休止となる。
休校は3ヶ月に及び、部活の再開までさらに1ヶ月の時間が掛かった。
休校中はダンス部の繋がりがあったから乗り越えられた気がする。
出歩くことさえできないようなウンザリする環境で、信頼できる仲間の存在は大きかった。
そして、最後の舞台として用意してもらった運動会で3年生は燃え尽きた。
早也佳のケガを乗り越えたことで何かもの凄いことをやってのけたという思いが胸に残った。
その余韻はいまも続いている。
「運動会での、あのやり遂げた感を越えることってあるのかなって思うんだよ」
早也佳もアタシと同じ気持ちだったのか、そう口を開いた。
彼女はケガでギリギリまで参加できるか分からなかっただけに余計そう感じているのだろう。
「まだ15だぜ。さすがに言い過ぎだろ」とアタシは答えたが、この1年間の充実ぶりを再び味わえるかどうかに関しては早也佳と同じ意見だった。
「まぁな」と早也佳が返す。
その表情は納得したという感じではなかった。
いまの時代、明るい未来を信じられる中学生なんて数えるほどだろう。
高校、大学、社会人でこんな熱い体験ができると期待しろと言う方が無理だ。
たとえ高校で部活に入っても同じような体験はできるとは思えない。
自分たちで作り上げた部活だから味わえたのだ。
頼もしい仲間がいたからこそできたことなのだ。
ダンスそのものの楽しさとは別に、何かをみんなで作るワクワク感があった。
文化祭のような祭りの準備を1年間続けてきたような気分と言えるかもしれない。
その中心に自分がいて、ダンス部を背負っている責任も含めて密度の濃い毎日だったのだ。
「ホント、ヒマだな」とアタシは呟く。
ダンス部の活動を引退し、心にぽっかりと穴が開いたようだ。
勉強のようにやらされるものじゃなく、自分がやりたいことに邁進したいという思いが燻っていた。
受験生だからそれが許されないことは分かっていても。
「修学旅行が終わって、クラスの雰囲気が変わっていて驚いたよ」
早也佳がポツリと言った。
その言葉に同じクラスの和奏も頷いている。
「うちのクラスはそれほどでもないかな」と言ったものの、空気の変化はアタシも感じていた。
「あたしたちのグループはそうでもないけど、岡山さんを笑っていた子が手のひらを返したように勉強勉強って感じになっていたんだ」
岡山さんは受験勉強をするために修学旅行を欠席したと陰口を叩かれていたそうだ。
しかし、彼女を非難したのは焦りの裏返しなのかもしれないと早也佳は指摘した。
少し前までは遊びより勉強を優先させるのはつき合いが悪い奴というレッテルを貼られた。
いつの間にか勉強優先が当然という雰囲気に変わってきている。
それが受験生になるということなんだろう。
「でも、空気は大事だよな。3組はかなり早くから勉強するムードを作っていたし」
昨年の2年1組もそうだ。
定期テストの前になるとクラスの雰囲気が勉強モードに切り替わっていた。
自力でガンガン勉強できる奴は別にして、大半の中学生はそんな周りの態度に影響を受けがちだ。
いまのアタシのクラスはそういう空気ができていない。
それを言い訳にしてはいけないが、アタシが勉強に向かうことができない理由のひとつではあるだろう。
「彩花と綾乃がいるものな」と早也佳が納得の顔を浮かべた。
ダンス部の3年生は勉強の成績は平均以下の生徒が多かった。
例外がこのふたりだ。
「彩花も1年前はアタシらと同じくらいの成績だったのにな」
綾乃は最初から勉強ができたが、彩花はアタシとテストの点は変わらなかった。
要領よく一夜漬けでなんとかしてきたアタシと違い、彼女はコツコツ勉強するタイプだった。
まるでウサギとカメの話のようだが、努力が実を結んだのだろう。
いまでは成績に大きな差がついている。
彩花もこの1年間忙しかったはずだ。
副部長として下級生の面倒を熱心に見ていた。
誰もが認めるほどダンス部のために行動しつつ、勉強でも結果を残すのだからたいしたものだ。
「彩花に勉強のコツを聞いた方がいいかもしれないな」と話す早也佳の顔は意外なほど真剣だった。
ダンス部のモットーは効率的に練習しようというものだ。
勉強でも闇雲に時間を掛けるより最初にコツを知っておいた方がいい。
アタシは高校生の彼に勉強を教わっている。
同じ高校に行きたいと思っていたこともあったが、現実は残酷だった。
彼は教えるのが上手く、アタシの成績が良くないのは単純に勉強をする時間が少ないからに過ぎない。
ダンス部的に言えば自主練をサボっている奴は上手くならないという身から出た錆だった。
「引退した3年で勉強会でもやるか」とアタシは提案した。
教える側になる彩花や綾乃には負担になるだろうが、アタシたちのように受験勉強に向かって気持ちが切り替えられていない元部員も多い。
きっかけは必要だ。
ダンス部時代を懐かしむのではなく、勉強をするために一度集まれば何かが変わるのではないか。
そんな期待を込めた発言に早也佳が「いいね」と同意した。
決まればフットワークは軽い。
アタシが彩花たちにお願いし、早也佳が集まる場所を探すことになった。
ほかのメンバーたちへの連絡は和奏に任せる。
勉強を口実にした些細なイベントといった感じだが、ちゃんと勉強をすれば問題はないだろう。
……ひとりでコツコツって柄じゃないんだよな。
そんなことを思いながらアタシは彩花に連絡を取った。
††††† 登場人物紹介 †††††
笠井優奈・・・3年4組。ダンス部を引退した前部長。最近は試験前の一夜漬けが通用しなくなり危機感を覚えている。だが、勉強はほとんどしていない。
山本早也佳・・・3年1組。元ダンス部。勉強しなきゃいけないと分かっていてもなかなか気分が乗らないという感じが続いている。成績は平均点といったところ。
恵藤和奏・・・3年1組。元ダンス部。塾に通っているが勉強は大の苦手。成績はクラスでも下の方。妹の奏颯《そよぎ》は1年生のダンス部部員だがそんなに仲が良い訳ではない。
須賀彩花・・・3年3組。元ダンス部副部長。昨年秋から塾に通い成績が上がった。美咲とも協力してクラスの雰囲気作りに精を出している。
田辺綾乃・・・3年3組。元ダンス部マネージャー。成績は上位をキープしている。彩花と同じ高校に進学するために励まし合っている。
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