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人間関係を浅く広く持つことが、私の人生の醍醐味であり生きる理由。

けっこう私は「青春」が好きだ。

マンガを読むにしても小説を読むにしても、一生懸命に青春している物語は読んでいて心が落ち着く。

ところで「青春」ってなんだろう?

そう考えてみたときに私の中で2つの大事なことが浮かんだ。

① みんなで1つのことに一生懸命に打ち込むこと
② 男女の恋愛が平和的に行われること

そして同時にそれが、私にとって生きる醍醐味を作るために必要な、非常に大切なことだということにも気がついた。


イメージしやすいように私が好きなマンガや小説を挙げると、

例えば『のだめカンタービレ』や『ちはやふる』は大好きなストーリーだ。

小説でいえば、『夜のピクニック』は忘れられないし、ゲームでいうならば『ドラクエ』なんかもそう。

期間限定でみんなで1つのことを成すというストーリーに加え、その中で平和的な恋愛が行われていることも非常に重要。

残念ながら(?)、私は濃い恋愛描写などは物語に必要ないなと思っている。

それは人生においても同じこと…。


私は「浅くて広い人間関係」を作ることを愛している。

それこそが人生の醍醐味だと思っている。


人間関係が「浅い」ということは、その相手のことのほとんどを「知らない」ということになる。

だけど人は、その人のことを知らなくても「イメージ」で埋め合わせようとする。

「マスクをしていると自分が可愛く見える」なんて表現があるように、自分も他人も、見えない部分を都合よくイマジネーションによって補おうとする。

人間関係が浅いのもそれと同じで、知らないがゆえにイマジネーションによって相手を美化させて、都合よく相手を良いように解釈する関係性だということができる。

私は、それが好きなのだ。


「本当の自分」や「本当のあなた」を知って分かり合いたい、という考え方をする人はおそらく「濃くて深い人間関係」が得意な人だと思う。

でも私は「広くて浅い人間関係」が好きだし、そこで働かせるイマジネーションで相手を美化させることで自分の人生に彩りを与えている。


実際のところ、その人を本当の意味で「分かる」ことなんてできないと思っていて(なんせ自分でも自分が分からないのがヒトだから)、まあ、だからこそ濃くて深いを求める人はそこを探求したいんだろう。

でも私は、どっちにしても分からなかったり、誤解や思い込みによって、結局のところフィルターを通しての理解にとどまるのであれば、積極的に「浅く広い人間関係」で、たくさんの人を知りたいと思う。

そして、たくさんの人の一部を知り、イマジネーションを働かせ、自分にとって都合の良い人間像を描きながら、その中で幸せを味わっていたい。


ここでいう「幸せ」とは何か?


それは、自分の中や相手の中にある「新しい一面」へ好奇心を向けて、コミュニケーションを取るということ。

まるで「濃くて深い人間関係」を求める人と同じ欲求、衝動に見えると思う。

確かにそうだ。でも、前提が少し違う。


その人を好きだからこそ、好奇心をできるだけ長く保っていたい。

恋愛などにおける「飽き」を、できるだけ遅らせたいという考え方と同じだと思う。

だから両想いの期間よりも片思いの期間が長い方が「飽き」はゆっくり訪れるし、小中高の腐れ縁よりも、高校3年間だけ「何かひとつ」に向けて、一緒に全力で走り抜けた仲間たちとの思い出の方が美しい。


マンガを読むにしても小説を読むにしても、一生懸命に青春している物語は読んでいて心が落ち着く。

青春とは、

① みんなで1つのことに一生懸命に打ち込むこと
② 男女の恋愛が平和的に行われること

そしてここでいう「平和的な恋愛」というのは、深く相手を理解する前の、お互いがお互いをイマジネーションによって補完し合っているような片思いの状態を指している。

その先の「深い人間関係」は、自分のあたまの中で勝手に妄想できるぐらいの余白がある方が、私は物語を読んでいて楽しい。

スピンオフやアフターストーリーもあったら読むし嬉しい気持ちもあるけれど、その余白をイマジネーションで埋めるという行為は、私はとても人生の彩りを良くする、とっても大切な要素なのではと思っている。


だから私は時折、期間限定の仲間を作りたいなと思うことがある。

本当に学生生活というのは素晴らしい。強制的に3年間とか4年間という期限を設けてくれて、その中で一生懸命に打ち込めるものがひとつあれば、そこに青春が生まれる余地ができるから。

恋愛というのは、男女間だけを指すものではなく、相手のことをもうちょっとだけ知りたいという「好奇心」に置き換えて別に構わないと思う。

LGBT の話じゃないけど、多分そういうことじゃないかと思う。


そして考えてみれば、この人生もまた、限られた期間の中で何かに打ち込むことを許された、ひとつの「余白」なのだ。

それを大人になってからも「期間限定」で「平和的な恋愛」が行われる状況下で、何度も何度も再現できたのなら、それは人生を青春によって謳歌できる、素晴らしい生き方なのではと思う。


そして最後に。

私は「web」が好きだ。


見えない相手に自分の考えや想いを届け、一部を理解してもらい、ほか全部をイマジネーションによって補完してもらい、もっと知りたいという「好奇心」を生む、最高の環境だと思っている。

ブランディングであろうと本音であろうと、どちらにしても一部の本当が必ず伝わるのが「web」だと思っている。

逆に、全部を伝えようとしても“一部”しか伝わらないのも「web」だと思う。

だから楽しい。

人間関係を浅く広く持つことが、私の人生の醍醐味であり生きる理由。

これこそが、私が人生を楽しめている、唯一の理由かもしれない。

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