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〈エッセイ〉イリジウムの空

面白い携帯アプリを手に入れた。
 
「スペースステーション」という、人工衛星や国際宇宙ステーションなどの人工天体が空を横切る時に、携帯画面上で、音とメッセージによって知らせてくれるものである。

あと何分何秒で肉眼によって確認できる位置に来るか、その方向と高さ、そして輝度を正確に教えてくれるから、画面の誘導に従って空を見上げれば、星空の中を横切ってゆくそれらの天体が容易に目視できる。
 
アプリをスマホに取り込んだものの、夜間に何度も衛星通過の知らせが画面を光らせても、あいにく曇天だったり、仕事中で外に出られなかったりと、チャンスに恵まれなかった。

そんな折、10月15日の午前3時、トイレに起きてベッドに戻ると、枕元のスマホの画面に、明るくメッセージが記されていた。

「イリジウム52のフレアが発生します」
 
あと44分で南西の空。仰角は80度とある。
 イリジウムとは、アメリカのイリジウムコミュニケーションズ社が90年代後半に、750キロメートル上空の地球周回軌道上に打ち上げた、66個の人工衛星の名前だ。ひとつひとつに番号が付されており、普段は目には見えないが、いつも成層圏の遥か向こうをぐるぐると飛んでいる。

それらは他の人工衛星とは違い、筐体がすべて鏡でできており、軌道上で太陽光を反射しながら移動している。ミラーボールの様な丸いものではなく、いくつかの平面で構成されている造りの為、一定の反射光がベルト状に地球を照らす。それが丁度観測者の上空に来て眩い光を放つことを「フレア」と呼び、観測マニア達は、その数秒の光を撮影するためにカメラを携えて夜の野外に立つ。

そんな衛星イリジウムだが、母体である会社は17年前に一度倒産。その後は他社資本の助けを得て再発足したが、なかなか通信インフラとして普及せず、現在では洋上を行く船舶電話の電波を中継するだけの役割しかなく、66個の内、使用されるのはごく一部の衛星だけだという。

したがってほとんどは、ただ黙して宇宙空間を周っているだけなのである。利用もされずに延々と周り続ける人工衛星に、もしも心があったとしたら、さぞや孤独でたまらないだろうと思う。

携帯画面の通知を見たものの、眠気に押されて一旦は目を閉じたが、ふと、ここ数日の空は晴れている事を思い出し、一度身体に被せた布団を勢いよく払って服を着た。家族が起きないよう、極力音を立てずに洗顔を済ませ、そっと玄関から出て、車のエンジンをかけた。空気がピリッとしていて気持ちが良い。

コンビニで温かいコーヒーとサンドイッチを買い、町はずれの丘の上に向かった。
イリジウムの通過まであと20分。ラジオをつけると、優しく柔らかな女性アナウンサーの声が聞こえて来た。「ラジオ深夜便」の森田美由紀アナウンサーだ。何度もNHKのニュースや解説番組で見かけたお顔を思い出し、こんな真夜中に、人気のない真っ暗な田舎道をドライブする身としては、なんだかほっと包まれたような気持になる。

目的地に着き、ヘッドライトを消して外に出てみると、満天の星空である。オリオン座が南の空高く君臨し、その足元にはカシオペアとプレアデス星団。天の川まではっきりと見える。本当に久しぶりに星空を見上げた気がする。スマホを取りに車に戻ってエンジンを切ると、ラジオの音も止まり、底知れぬ静寂に包まれた。

近くに人工の明かりが何もない真っ暗な丘の上からは、足元に芽室の街灯り、そしてその向こうには帯広の街が見える。そこでしばらくは茫然と漆黒の天蓋に散りばめられた星々を見つめた。風も無く穏やか夜空ではあるが、圧倒的な星の輝きが、冷たい未明の空気をより引き締めているような感じがする。

「こんなに星が見えるものなのか…」
 
思わず独り言が出る。ジャケットのファスナーを首のところまで締め直し、手に持っていたスマホのアプリを立ち上げた。
 あと45秒、30秒、20秒…。画面上でカウントダウンが始まる。スマホを空にかざすと、明るい矢印が画面に現れ、見えてくる方向を指し示す。

5秒、4秒、3秒、2秒、1秒…。
 
ゼロ秒きっかりに、オリオン座の北側の腕の下で、強い光を発しながら動く物体が現れた。固唾を呑んで見つめていると、光はますます眩しくなった。それは東の地平線の上に出ていた金星よりもずっと明るいものだった。明るさのピークを過ぎた後は、徐々に暗くなって行き、やがてオリオン座の足元あたりで、完全に見えなくなった。

イリジウムの大きさは自動車一台分くらいだという。しかしそれは確かに、750キロもの上空から、こちらに向かって太陽の反射光を、強く鋭く投げかけたのである。
 
無音のドラマを見たような気がした。家族も友人達も寝静まっているはずの、この深い未明の夜空の舞台で見たものは、宇宙科学と物理、人類の技術が織りなす光のドラマではあったが、同時にそれは、人間の経済活動の脆さ故に、宇宙という絶対的な孤独の空間に取り残された物が放つ、実に悲しい光跡でもあった。

車に戻ってドアを閉めエンジンをかけた。温かいヒーターとラジオが戻った。

森田アナウンサーの声を再び聴いたとき、どことなく冷たい宇宙から無事に地球に生還したような、不思議な安堵感を覚えた。

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