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〈連載小説〉ゲートキーパー(11)

返事をしないまま美玖は身体を動かし、その上半身がすっかり手摺の上に出た。そしてその右足を静かに上げ、自分の前の鉄製の直線を跨ぐようにして身体を横にしながらよじ登ろうと動く。

「お願い、美玖ちゃん。おばちゃんの言うこと聴いて!」 

叫びながら由梨絵は涙があふれた。

なんという不条理だろう。

今見上げている美玖の姿とその動作は、死の門へ急ごうとする幼い一人の子供である。しかしそれは由梨絵にとって、世の中のすべての不条理をそのまま体現した姿に見えた。

抗う事のできない悲しみの塊が目の前にあり、それを中心にして白い雪が放射状に舞い降り、次から次へと由梨絵の顔に降りかかってくる。 

「美玖ちゃん、おばちゃんがちゃんと本当にグーフィーの居る所に連れて行ってあげるから、ね? お願い。そこを降りて!」

擦れた声が由梨絵の喉から出た時、美玖はふと体の動きを止めた。

「おばちゃん、グーフィーの居るとこ知ってるの?」

手摺を跨いで身体を起こし、少女がじっと自分を見おろしている。

「し、知ってるわよ。東京っていう大きな町にあるの。一緒に行こうよ。おばちゃんが連れてってあげるから」

「ほんとう?」

「本当よ。ね? だからそこから降りて、美玖ちゃん」

「うん、わかった。美玖、おばちゃんと一緒にグーフィーのとこに行きたい」

少女の言葉には何ら緊迫感は無く、まるでひとつの遊びを中止するような気軽なものに聞こえた。やがてその身体の向きをベランダの窓の方に向け、手摺から降りようと動き始めた。

極度の緊張感が一気に解けてゆくのを感じた時だった。

ベランダの手すりにかけていた美玖の右手が滑った。バランスを崩した身体がガクンと揺れ、少女は顔を手摺にぶつけた。

次の瞬間美玖は残っていた左手も手すりから離し、ふわっと身体が宙に舞った。

「いやあああああああ!」

由梨絵の絶叫が街角に響いた。

膝の高さまで積もった雪を蹴散らしながら、自分の身体が動く。

美玖の身体が落下してくるポイントまで二―三歩の距離だったが、由梨絵は自分の動きが恐ろしく緩慢に感じた。

受け止めようと大きく腕を広げた由梨絵の目に前に、丸くなった美玖の背中が雷撃のように迫った。次の瞬間、途方もない衝撃が自分を打ち、もんどり打ってその場に倒れた。

そして何も見えなくなった。

(つづく)

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