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#41 逮捕から10日後、手錠での再会

私の勾留には"接見禁止"が付きました。
会うことができるのは弁護士だけ。当然、弁護士が間に入ることで、連絡のやりとりは可能でしたが、誰にも会えない孤独感に苛まれました。

そのような中での"勾留理由開示公判"。
留置場の外の人と顔を合わせることができる、唯一の機会でした。

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逮捕から勾留が決定されるまでの間の約72時間は、弁護士以外は面会することができません。
更に私は、接見禁止を付されてしまいました。

接見禁止せっけんきんし
身柄拘束を受けている被疑者や被告人が、弁護人以外の家族や友人など外部の人と連絡を取ることを禁止する処分。検察官が請求を行い、裁判所が決定します。
刑事訴訟法第81条により「裁判所は、逃亡し又は罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるとき」には、弁護士以外との接見を禁止することができる旨を規定しています。
接見禁止は、面会だけでなく手紙のやりとりを禁止されることもあります。

面会も手紙のやりとりも禁止されたため、家族や市役所職員をはじめ、多くの人との連絡を弁護団にお願いしました。私と外の世界との接点は、弁護士の先生たちだけでした。

そのような状況下でも唯一、"勾留理由開示公判"の場だけは、私の姿を、公判の場へ来てくれた人に見せられるとのこと。そして、その場では言葉を発することができなくても、無実を訴えるための戦う姿勢を示すことができる貴重な機会でした。

勾留理由開示請求こうりゅうりゆうかいじせいきゅう
勾留を決定した裁判所に対して、なぜ被疑者を勾留したのかという理由を明らかにするように要求する手続きで、憲法第34条に定められている。勾留理由開示請求により、勾留理由開示公判が裁判所で行われます。これは、起訴前に公開法廷で行われる唯一の手続きです。私のように接見禁止がついていると弁護士以外の人と接見することはできません。そのような場合であっても、勾留理由開示公判において、その時だけ、本人と会うことができます。

勾留理由開示公判は逮捕から10日後の7月4日に行われることになりました。
その日は、家族や友人、支援者、市役所関係者など、何人もの人が名古屋の裁判所まで来てくれると弁護士から聞かされました。

ジャージ姿での勾留生活でしたが、公判の場には逮捕当日のYシャツに着替えることを許されました。とはいえ、ベルトやネクタイは無し、髪型を整えることもできませんでした。
10日ぶりに皆さんに会える喜びはあったものの、こんな姿で手錠に腰縄を打たれた姿を見せることの辛さの方がずっと上回りました。

裁判所に着いて、開廷までの時間がとても長く感じました。

裁判所の扉が開くと、右手には先日の塩対応の若い裁判官。
そして左手には傍聴席。よく知る人たちの顔がありました。
一番前には父親と母親。

涙が出るのを必死にこらえました。

そして、公判が始まりました。
裁判官は手元の資料を、小声で、しかも早口に読み上げました。正面に立っていた私ですら聞き取りにくいものでした。弁護士によると、この裁判官は任官してわずか半年の新米裁判官とのことでした。

「被疑者の身上関係に加え、本件の性質等も考慮に加えますと、本件強制捜査を受けて一時その所在を隠すなどして逃亡すると疑うに足りる相当な理由があると認められました」

私には身を隠したり、逃亡する可能性が十分にあるという検察の主張を裁判官は認めたということでした。

(美濃加茂市長の私が、市民を見捨てて逃亡するなんてありえない)

私を含め、傍聴していた全ての人が、そう思ったことでしょう。

あっという間の初めての法廷でした。
「法廷では、声を出してはいけない」
そう言われていたので、遠くから来てくれた皆さんに、感謝の思いを込めて深く頭を下げました。

もっと色々な話がしたいと思いながら、傍聴席を背にした時

『がんばれ!』
『負けるな!』
『美濃加茂市は大丈夫だ!』

地元から来てくださったNさんの力強い声が、静まり返った法廷内と、私の心に響きました。

その日のうちに、勾留取消請求は却下され、さらに10日間の勾留延長決定が出されました。

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